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塵袋

甘露と雲ふは何なる物ぞ、草におく露にしてあまきか、初学記に甘露は仁沢也、其凝こと如脂、其美こと如飴、一名は天酒と雲へり、東方朔が神異経に、西北の海外に有人、長け二千里、両脚中間相去千里、腰囲六百里、但日飲天酒五斗と雲へり、又王膏(かう)と雲へる東海の贏洲の上に、有神足玉石、味如酒、一名は玉髄亦酒、兼名苑に見たり、仙薬なりと雲へども、甘露にはことならざる歟、漢武帝の時、東方朔が玄黄青の露お、瑠璃の盤にいれてたてまつる、これおなむるもの、みなわかくして、病いゆと雲ふ事あり、又武帝承露盤おつくつて、仙人掌に玉坏おさヽげて、雲表の露おうくと雲へり、此露も甘露のたぐひ歟、漢孝宣帝元康二年に、甘露くだると雲へり、明帝の永平十七年にも、頻りに甘露おくだせり、日本には天武天皇七年十月に、綿の如きもの難波にふれり、長さ五六尺、広さ七寸、風に随て松林及び葦原に漂る、時の人甘露と曰と雲へり、日本紀に見えたり、こヽろえぬ物のすがたにや、慈覚大師如法経書き始給しにも、喜見城の天甘露お、夢の中になめて、身もつよく病いえ給けるとかや、其甘露のすがたは瓜にぞ似たりける、