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梅園日記

車軸雨(○○○) 三浦氏の世話支那草雲、車軸、ある人のいはく、これは大粒にふりたる雨のたまりて、その水の上にまた落るあと、車の軸の如くに飛上り、自然に輻(みそのや)のかたちおなす故にしかいふと、又あるひとのかたりしは、大唐にて殷湯の時、旱魃甚しくしければ、湯王の徳のたらざる事おなげき給ひ、薪おつみあげ、みづからその上に坐して、火お四方よりはなちたまへば、にはかに黒雲たなびき、大雨おびたヾしくそヽぎ来て、火程なくきえければ、湯王つヽがなくて、車に乗て帰り給ふ道すがら、雨水車軸お流せしより、この詞おこるとなん、按ずるに、車軸の雨こヽにもふるくよりいへり、台記に康治元年五月十二日、秉燭程降雨如車軸、宇治拾遺物語に、車軸の如くなる雨ふりて、承久軍物語に、大雨しやぢくおふらし、又平家物語、吾妻鏡、曾我物語、太平記等にも出たり、〈宇都保物語俊蔭巻に、車のわの如くなる雨ふりとあるは、軸お輪と誤りたるに侯、〉湯王の時、車軸お流したる事なし、もと仏書より出たる語なり、王安石が夢中作に、燭〈李壁揃注に、当是独字、〉竜注雨如車軸、〈揃注に、華厳経竜王於彼大海中雨滴如車軸、〉法苑珠林〈大三災部の余〉に、依起世経雲、注大洪雨、其滴甚麤、或如車軸、或復如杵とあり、また世話支那草に、篠おつく雨(○○○○○)といふこと、篠お束たる如くにふる雨なり、むさし野のしのおたばねてふる雨に蛍ならではなく虫もなし、誹諧崑山集に、正知、しのおつきふりくるや鑓梅の雨、吉野拾遺〈巻一〉に、またかきくもりしのおつくが如くふりいでければ雲々、按ずるに、吉野拾遺一二の巻は偽書也とて、群書類従に除かれたるは卓見といふべし、しのおつくと雲こと、無下に近き詞也、是も亦偽書の一証也、古くはしのにふるといへり、無名子永享三年道之記に、かしは原といふ所より、秋の雨しのにふる、また消遥院殿の雪玉集に、むまや、袖もさぞふりくる雨はしのづかのむまやのすヾのさよふかきこえ、とよませ給ひしもこれなり、又今さりがたきことのあるとき、鎗が降(○○○)ともゆくべしといふ俗語あり、韻語陽秋に、詩人比雨如糸如膏之類甚多、至杜牧乃以羽林槍為比、念昔游雲、水門寺外逢猛雨、林黒山高雨脚長、曾奉郊官為近詩、分明㩳々羽林槍、大雨行雲、万里横牙羽林槍と見えたり、又卯の刻雨に笠おぬげといひて、明がたにふりいづる雨は必晴るといふ、重修台湾府志に、稗海紀遊お引て、昧爽時雨、俗呼開門雨、是日主晴、昧爽是初明時也と、かしこにもいふことなり、又春は海はれ、秋は山はるれば日よりなりとて、春海秋山といふ、これも同書に、赤嵌筆談お引て、春日晩観西、冬日晩観東、有黒雲起主雨、諺雲、冬山頭春海口といひて雨おしるなり、又朔日に雨ふれば、その月中雨おほしといふ、呉中田家志に、上旬交月雨、謂朔日之雨也、主月内多雨風吹、また江戸にて廿四五両日はおほく雨ふるといふ、もろこしには、この日ふればなが雨なりといへり、陸游が剣南詩稿〈八十二〉秋雨詩に、屋穿況値雨騎月、自注に、俗謂二十四五雨為騎月雨、主霖淫不止、また毎年三月十五日、江戸は雨ふる事おほし、俗人梅若の涙雨とよぶ、唐土にては大風ふくといへり、明の鄭仲〓が耳新に、毎年三月十五六、俗相戒為馬和尚渡江日、必有大風敗舟、中山伝信録〈風暴日期〉に、三月十五日真人颶などあり、又雷鳴あれば梅雨はるヽといふ、歳時広記に、瑣砕録雲、芒種後遇壬入梅、遇雷電謂之断梅、〈葛原詩話に、放翁が詩の自注お引たり、〉とあり、