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梅園日記

甲子雨 天文九年の守武千句に、など大黒おかたらはざらん、甲子にふりつることよ雨のくれ、といへるは、今もいふ甲子の雨にて付たる句なり、また多聞院日記に、天正三年三月廿五日、天気快然、春の甲子に雨下れば大炎と百姓申、先以雨不下珍重候とあり、按ずるに、朝野僉載に、諺雲、春雨甲子、赤地千里、〈全唐詩徐寅詩に、豊年甲子春無雨、〉夏雨甲子、乗船入市、〈孔氏談苑に、乗船入市者雨多也、陳師道が后山集、和黄預久雨詩に、甲子猶逢夏、連朝雨脚垂、〉秋雨甲子、禾頭生耳、〈杜詩千家註補遺に、此八字斉民要術にありといへり、昌黎文集五百家注に、朝野僉載お引て木頭垂耳に作れり、〉冬雨甲子、鵲巣下地、其年大水〈また観象玩占に、春雨甲子日旱、夏雨甲子四十日旱、秋雨甲子四十日潦、冬雨甲子二十七日寒雪、〉とあり、かの百姓の申しは、これによれるなるべし、さて今は四時ともに甲子の雨は、長雨のしるしなりとするは、田家五行に、春雨甲子、乗船入市、言平地可通舟楫也、夏雨甲子、赤地千里、一雲赤尺古字通用、言為水阻、跬歩若千里之艱也、秋雨甲子、禾頭生耳、冬雨甲子、飛雪千里、牛羊凍死、また雨航雑録に、徐光訓曰、子為水位、雨於甲則水徴など見えたる説によれるなるべし、されども赤地お尺地とするは非なり、〈◯下略〉