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東雅
一天文
雪ゆき〈◯中略〉 あはゆきといふ事、旧事紀に、日神、素戔烏神の天に昇給ひしおむかへ給ひし時、蹈堅庭而陥股若沫雪蹴散し給ふといふ事の見えしお、日本紀も其文によられ、古事記に見えし所もまた異ならず、倭名抄に沫雪の字おしるし、読てあはゆきといひ、日本紀お引て、其弱如水沫と註せり、〈これ私記の説なり〉釈日本紀にも、師説お引て釈せしところ、亦これに同じ、世人これらの説によりて、沫雪とは春雪おいふなりともいひ、又冬のはじめ降れるおもいふなりなど、いひ伝へたれど、万葉集の中には、冬の歌にあはゆきお読しあまた見えて、特には、しはすにはあはゆきふると知らずかも梅の花さくつぼめらんして、とよめる歌あり、世の人の説しかるべしとも思はれず、沫雪といふものは、たとへば雪の初て作(おこ)りて、いまだ華おなさヾるが、つぶ〳〵として水沫の結びたるやうにあれば、沫雪といひしなり、古事記の歌に、多久夫須麻(たくふすま)、佐夜具賀斯多爾(さやぐがしたに)、阿波由岐能(あはゆきの)と見えしは、〈◯中略〉其降れる音の、さやげるお雲ふなるべし、さらば即今あられといふ物にてあるなれば、けはらヽかしともしるされたるなり、然お後の人、其義お誤解きて、其弱如沫などいひしによりて、又春の雪の消やすきおいふなりなどと、いふ事にはなりしなり、万葉集に見えし歌どもは、其読める人々、古お去る事も遠からず、また説文等に見えし所おも、併見しと見えたれば、おのづから古き義お失なはず、〈説文に霰稷雪也、言雪初作未成華、円如稷粒也と見えたれば、雪いまだ華お成さざらんおば、冬にもあれ春にもあれ、稷雪とこそいふべけれ、万葉集の冬の歌共に、あまた見えし事、疑ふべくもあらず、それが中にも、梅の花さへつぼめらむしてとよめるは、彼雪のいまだ華おなさヾるおかたどり雲ひしなるべし、〉