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北越雪譜
初編上
初雪 江戸には雪の降ざる年もあれば、初雪はことさらに美賞し、雪見の船に歌妓お携へ、雪の茶の湯に賓客お招き、青楼は雪お居続の媒となし、酒亭は雪お来客の嘉瑞となす、雪の為に種々の遊楽おなす事、枚挙がたし、雪お賞するの甚しきは、繁花のしからしむる所也、雪国の人これお見これお聞て羨ざるはなし、我国〈◯越後〉の初雪お以てこれに比れば、楽と苦と雲泥のちがひ也、そも〳〵越後国は北方の陰地なれども、一国の内陰陽お前後す、いかんとなれば、天は西北にたらず、ゆえに西北お陰とし、地は東南に足ず、ゆえに東南お陽とす、越後の地勢は西北は大海に対して陽気也、東南は高山連りて陰気也、ゆえに西北の郡村は雪浅く、東南の諸邑は雪深し、是陰陽の前後したるに似たり、我住魚沼郡東南の陰地にして、巻機山、苗場山、八海山、牛が岳、金城山、駒が岳、兎が岳、浅草山等の高山、其余他国に聞えざる山々、波涛のごとく東南に連り、大小の河々も縦横おなし、陰気充満して雲深き山間の村落なれば、雪の深おしるべし、〈冬は日南の方お周ゆえ、北国はます〳〵寒し、家の内といへども、北は寒く南はあたヽかなると同じ道理也、〉我国初雪お視る事、遅と速とは其年の気運寒暖につれて均からずといへども、およそ初雪は九月の末、十月の首にあり、我国の雪は鵝毛おなさず、降時はかならず粉砕おなす、風又これお助く、故に一昼夜に積所六七尺より一丈に至る時もあり、往古より今年にいたるまで、此雪此国に降ざる事なし、されば暖国の人のごとく初雪お観て、吟詠遊興のたのしみは夢にもしらず、今年も又此雪中に在る事かと、雪お悲は辺郷の寒国に生たる不幸といふべし、雪お観て楽む人の、繁花の暖地に生たる、天幸お羨ざらんや、