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閑田耕筆

近江彦根の陪臣大菅中養父、其主の領地お撿する時、或山家にて不納お責るにつきて、其家の後山に林繁茂せるお見付、是お伐剪て代なさば、かく未納にも及ぶまじきおと咎む、農夫いなこれなくては、あわのふせぎいかにともすべからずといふ、それは何の事ぞと問しに、雪はつもる物也、あわはつみて崩るヽものなれば、林おもて防がざれば、家おうちたふすなりと答へけるに、中養父は古義お好む人なれば、はじめてさとりぬ、万葉集に、ふる雪はあわになふりそ吉張(よなばり)のいかひの岡の塞(せき)ならまくに、とあるも、正しく是にて、あわはふりて崩るヽ故に、塞となりがたければ、あわにはふることなかれといふ也けりといへり、凝(こる)雪は水気ある故によくつむ、あわは密雪に充べし、寒至て強き故に水気尽て軽し、さればあわとはいふならんと、上田秋成は釈せり、つねにあわ雪はふるほどなく消る春の雪とのみおもへり、それにても万葉の歌聞えざるにはあらねど切ならず、これらも夏に失て夷にもとむるといふべし、