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東遊記

文武の余風 佐々成政越中お領せし頃、敵に囲れ勢屈して、外に味方の助け無れば、我城おだに守り兼し折ふし、きつと思案おめぐらし、浜松は兼てのちなみなれば、みづから行て救ひお求んと欲すれども、四方皆敵に囲れて出べき道なし、折節極月〈◯天正十二年〉廿七日の事なれば、夏の日だにも雪消ぬ、越中立山麓より峰まで、数丈の雪封じて禽獣さへ通ひ得ざる時なれば、敵も油断して立山の方はかこまず、成政才の近習計お召具し、忍びやかに城お出て、雪深く埋みたる立山の絶頂へ、雪の上お真一文字にかけ登り、又絶頂より南おさし、谷嶺おいとはず雪の上おすべり落ければ、信州松本へ落付たり、それより浜松に越えて恙なく、救ひお得たりとなり、雪中に立山お真直に越たる艱難、中々言葉につくすべからず、其越たる跡お成政がさら〳〵越といひて、隻今にも勇気の者は、越中富山より信州松本へ一二日が間に越る事なり、されど是は法度の事なりとて、其さら〳〵越の所は、彼地の人も秘するといへり、常の道お廻りて行ば、富山より松本へ六七十里にも余れる所お、一日か二日の間に行道なり、此事隻寒中より早春の間にすべき事にて、常の時はなりがたしとぞ、其子細は人跡絶たる極深山のことなれば、草木生ひ茂りて、行べき道おさへぎり、あるひは断岸絶壁の所ありて、羽なければ飛がたく、あるひは猛獣出て人お食ふ、数十丈の雪積る時には、断岸絶壁の所も皆一面の雪と成り、たとへころび落たるにも、雪の上なれば其身損ずる事なし、又大樹喬木といへども、皆雪に埋れて一面の平地の如し、猛獣又皆逃隠れて穴に住めば、人お害することなし、此ゆえに寒気に堪へ忍びて命全ければ、谷嶺池川の差別なく、真直に越えらるヽことなり、此事お越中にてくはしく聞しかど、あまりけしからぬ事ゆえ、隻昔物語のやうに聞流して居たりしが、それよりだん〴〵出羽奥州に入て、見るに聞くに、立山のさら〳〵越の事、初て誠の事と思ひ悟りぬ、津軽領の青森といふ所の南に当りて、甲田山といへる高山あり、其峰参差として、指お立たるが如くなれば、土俗八つ甲田といふ、叡山愛宕抔のごとき山お、三つも五つも重ね上たるが如き高山也、津軽領の人勇気たくましき者、又は罪お得てすがたおかくす時抔、津軽の関所、南部の関所ともに抜んとするに、極月より二月三月の頃までは、此甲田山の絶頂おさして、雪の上お真一文字に登り、磁石お立て南部地は東南の事と志し、其方角のあたる方おさして、真直にすべり落る事なりとぞ、常なみの本道お廻り行時は、五十里七十里、或は百里にも余る所お、才に一日二日の間に行付なり、此外津軽の外が浜辺蟹田蓬田辺よりも、今別、三馬屋辺へ雪中には真直に山お越えて、甚近くて行るヽ事なり、其余一里二里五里七里の程ちかき所は、かくの如く雪の上お越て、近道となる所甚多し、常には皆雑樹或熊篠など生ひ茂りて、通ひがたき所なり、北地数十丈の雪積り、殊に厳寒の国なれば、雪皆積るより氷て甚堅く、いかに蹈とも落入るといふ事なし、南国の雪の様子とは、大に違ひたるものなり、寒中に彼地に遊ばざれば、信じがたき事なり、仙台御先祖正宗の和歌に、中々につヽら下りなる道たえて雪に隣の近き山里、といへるも、兼ては解しがたく覚えしが、是等の見聞て初て此歌お感ぜり、