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北越雪譜
二編上
初夏の雪 我国〈◯越後〉の雪、里地は三月のころにいたれば、次第々々に消、朝々は凍こと鉄石の如くなれども、日中は上よりも下よりもきゆる、月末にいたれば目にも留るほどに、昨日今日と雪の丈け低くなり、もはや雪も降まじと、雪囲もこヽかしこ取のけ、家のほとり庭などの雪おも堀すつるに、雪凍りて堅きゆえ、雪お大鋸にて〈大鋸里言に大切といふ〉ひきわりてすつる、その四角なる雪お脊負ひ、あるひは担持にするなど、暖国の雪とは大に異り、雪に枝お折れじと、杉丸太おそへてしばりからげおきたる、庭樹なども解ほどけば、さすがに梅は、雪の中に莟おふくみて、春待がほなり、これ春の末なり、此時にいたりて、去年十月以来暗かりし座敷も、やう〳〵明くなりて、盲人の眼のひらきたる心地せられて、雛はかざれども、桃の節供は名のみにて、花はまだつぼみなり、四月にいたれば、田甫の雪も斑にきえて、去年秋の彼岸に蒔たる野菜のるい、雪の下に萌いで、梅は盛おすぐし、桃桜は夏お春とす、雪に埋りたる泉水お堀いだせば、去年初雪より以来二百日あまり黒闇の水のなかにありし、金魚緋鯉なんど、うれしげに浮泳も言(ものいはヾ)やれ〳〵うれしやといふべし、五月にいたりても、人の手おつけざる日蔭の雪は、依然として山おなせり、況や山林幽谷の雪は、三伏の暑中にも消ざる所あり、