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碩鼠漫筆

あなしと雲ふ風 あなしの名義は、いまだおもひ得たる説もあらねど、袖中抄巻二十に、いぬいの風おあなしといふ〈八雲御抄巻三、藻塩草巻一等にも同じく見ゆ、〉とあるお見れば、あなはもし戌(いぬ)の転訛にて、其方よりふく風の名にはあらじか、〈和歌分類風部に、あなしは戌亥の風なり、又説辰巳の風なり、又和州穴師山の風お雲といへり、穴師山の風よりいひそめて、いづこにもいふなり、戌亥といひ辰巳といふは、和州穴師山お乾に受たる里人のいひ、辰巳にうけたる里人のいへるなり、已上貞徳説とみえたり、顕昭法橋の東国如何といはれたるも、もしかやうの思ひとりにはあらじか、そはかくまれ、この説はうけがたし、〉しはしぐれ、しまき、あらし、つむしのしにて、風の義ならむ事は、いふ迄もなかめり、〈こちはやちのちも亦おなじ〉但異名分類の説には、あなしは隻あらき風にて、あらしの転語、らとな同韻通ず、あらめでたなど雲べきお、あなめでたといふがごとしとみゆれど、此説もいかヾなり、其故はいかにと雲ふに、往し天保十二年の土佐国人漂流記といふものお見しに、其国吾川郡宇佐浦と、幡多郡中の浜との漁人等、あなぜといふ風に吹ながされて、無人島に漂着したるよしかけり、こはしおせとこそは訛謬たれ、古き名お伝へたるもめでたく、かつ隻あらしには非ずして、辰巳さまに吹める風の異名なる事も明らかなる事、土佐と無人島との地方にてよくしられたり、されど我戌の方の風かといへるは、いまだ宜しと決めたるにはあらねば、例の識者の是正お請ふべく、おろ〳〵こヽにはいひ出つるなり、〈なほ東国の方言に、いなさといふ風の名あるも、いなさとあなしと音近ければ、いなさはあなしの訛言にやあらむと、はじめにはふとおもひたりしが、こは辰巳よりふく風おいふといへば、しからざる事勿論なれど、辰巳と戌亥とは相対したれば、さはいへどよしなきにもあらじか、是はた猶よく考ふべし、又塩尻巻二十一雲、熱田浦人の俗諺に、暴風して雨ふるお、はへと雲ひ、巽の風おいなさと呼び、坤の風おならひと雲とあり、いなさは東国と同じけれど、ならひは違へり、東国に雲ならひは乾風なり、〉