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古事記伝
三十五
爾斯布岐阿宜氐は、西風吹令散而ふきなり、西風お爾斯(にし)とのみ雲は、〈風と雲ことお省きたるにはあらず、此御代のころ、さまで省ける語はいまだあらじ、〉此歌に依て考るに、比牟加斯(ひむかし)、爾斯(にし)と雲は、もと其方より吹風の名にて、比牟加斯は東風、爾斯は西風のことなりしが、転て其吹方の名とはなれるなるべし、〈故古は方おば多く、東西とのみはいはず、東方西方といへり、是西風の吹来る方、東風の吹来る方と雲意より雲なれたることなるべし、然るお後には、方の名お本として思ふ故に、西風お爾斯とのみ雲るは、風お略ける如聞ゆるなれど然らず、〉斯(し)は風にて、風神お志那都比古(しなつひこ)と申す志(し)、又嵐飊あらしつむじなどの志(し)も同じ、〈風は神の御息にて、息お志と雲こと、師(賀茂真淵)の冠辞考、志長鳥条に雲れたるが如し、〉又暴風(はやち)東風(こち)などの知(ち)も通音にて同きなるべし、さて東風(ひむかし)西風(にし)と雲名の意は、比牟加斯は日向風(ひむかし)なり、〈凡て東方お日向(ひむかひ)と雲ること多し〉爾斯は詳ならねど、試に雲ば和風(なぎし)ならむか、〈那岐は爾と切る、又那伎お爾岐とも雲、〉和(なぎ)とは天の霽たるお雲、〈常には風の無きおのみ、和とは心得たれども、其のみならず、雨又雲霧などもなく晴たるおも雲、古今集恋歌に、雲もなく和たる朝の我なれやいとはれてのみ雲々とよめるは、甚晴といはむ料に、和たる朝と雲り、是晴お和と雲故なり、風のなきことは此歌に用なし、凡て那具とは、何にまれ静まり収まるお雲へば、雨雲霧などの晴るおも雲べき理なり、〉西風は殊によく雲霧お吹晴らす物なれば和風(なぎし)と雲るか、さては次の句の、雲ばなれにも殊に由あり、〈さて比牟加斯爾斯お、もと風名とするにつきて、美那美伎多も共にもとは風名か、又是は本より方名か、いまだ考得ず、〉万葉十八〈二十六丁〉に、南吹みなみふき雪消益而ゆきまさり射水河みづがは、これも南風お美那美(みなみ)とのみよめり、〈是は此の歌に、西風お爾斯とのみあるお、風お略きたるものと心得て、其にならひて、美那美とはよめるか、はたそのかみ常に然雲ることの有しか、さだかならず、若常に然雲ことの有しならば、美那美と雲も、もと風名にやありけむ、かにかくに定めがたし、伎多も此に准へて定むべし、〉