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慶長見聞集

土風に江戸町さはぐ事
見しは昔、江戸に土風たえず吹たり、されば竜吟ずれば雲おこり、虎うそぶけば風さわぐ、かヽるためしの候ひしに、江戸に土風吹は町さわがしかりけり、此風お他国にては旋風といふ、此字めぐる風と読たり、又つむじの毛のごとく、土おまひて吹ければ、つむじ風共俗にいふ、〈◯中略〉扠又此風、土おうがつ故にや、関東にては土くじり(○○○○)といふ、万葉に六月の土さへさけて照日と読り、土さくる共あり、土くじりとはおかしき名なり、取分江戸近辺に吹風也、〈◯中略〉藻塩草に、風の異名さまざま記せり、若此内に土くじりと雲風や有とよみて見れば、つじといふ風の名あり、是は谷の河風なりと注せる、かなに書て正字しれず、〈◯中略〉嵐の異名また多し、此内にも土くじりといふ風はなし、然に江戸あたりに吹土くじりといふ風は、雪の気色もなく音もせずして、俄に地より吹立、土おまきつヽんで空へ吹上れば、たヾくろけむりのごとし、皆人是お見て、すは火事こそ出来たれ、やけ立烟お見よとさはぎてんたうする、町の御掟の事なれば、家々より手桶に水お入、引さげ引さげ持行事は、先立てはたじるしお持、火本は援やかしこと、はしりまはる内に、土けぶりはきえて、そらごとなりといへば、さげたる桶の手持もなく、はたおまひてかへりしは、見るもおかしかりき、