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鳩巣小説

一正徳三年六月六日、午の下刻、高田郡〈◯安芸国〉保坂村の山大谷と申処に、のぼりのやうなる物二本出申候、夫より豊田郡久芳村の田方かにの木山と申所にては、一本のやうに見へ申候、右のぼりの様成白きもの、かにの木山にて消へ申候、然処に晴天俄に曇り、黒雲の内白き差わたし四間ばかりの、丸きもの出候て、北内より色黒白の烟の様なるもの吹出し、同時豊田郡野善村ひらき坂と申処にも、右の通なるもの出、烟のやうなるもの吹出し申候、右両所より出申もの、一つに成候と存じ候より、大風一筋吹出し、野善村助貞山に吹わたり、かたち六七間四方程になり、烟りの様に連なり、高さ四五間十間ばかり上、くる〳〵と舞ひ、又は地にて舞通り申候、然処鳩の少し大きなるもの、件の物の上に一廻居申候、夫より国光吉兵衛と申もの、家吹はぎ、其外近所の百姓の家大分に損じ申候、稲の中などお通り申時は、水吹上川原に成申候、夫よりかしこ援廻り止り、又は跡へ戻り、兼貞わたりの山へ舞のぼり、傘一本薪三束、其外ひろげ置候ゆへ、草など吹こと落著見へ不申候、右のすさまじきことに付、百姓ども皆々肝お消、おそれ居申候、さて右のもの舞申節は、殊の外騒敷候て、常の雲ともに廻り候やうに見へ申候、右廻り候物の内、少し赤きやうに見へ申ものも有之、又黒き人のやうなる物と見候者も有之、又人によりて人の首のやうに見申者も有之候、夫故婦人など見候ては気お取失ひ、行かヽり戻申者も多く有之候、近き村は大雨ふり申候、野善村は雨ふり不申候よし、