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東雅
一天文
雷いかづち いかづちとは畏るべきの神といふが如し、上古の語に、いづといひ、いかしといひしは、厳畏の義也、されば旧事紀には、厳の字、読ていづといひ、日本紀には亦読ていかしといふ、〈◯中略〉雷の字、読てつちといふ、山雷(やまづち)おして天香山之五百箇真賢木お掘じといひ、火神の名お厳香来雷いづのづちとし、別の名お厳山雷いづのやまづちとすと雲ふが如きこれ也、〈◯中略〉厳雷(いかづち)といひし事、霹靂の神おのみいひしとも見えず、また山木水土の如き其神おいひて、いかづちとせしのみにもあらず、雄略紀に、天皇三諸岳の大蛇お見畏給ひ、名お賜りて雷(いかづち)となされしと見えたれば、此時までも畏るべき者お、崇め尚びて雷といひし事、猶これ太古の俗の如くなりしとぞ見えたる、いかづち又はなるかみともいひ、〈なるかみは鳴神なり、雷霆の声あるお称し謂へるなり、〉霹靂おかんときなどいふも、皆是神おもて称する事、つちといふの義に相同じ、かんときとは、疾雷といふが如し、〈或説にいかづちとは、怒の義なり、雷は天の怒也といふ事あり、つちとは槌なり、人物お擊(うつ)の義なりといへり、義合へりとも聞えず、されどいかるといふも、いかとは即厳之義なり、るといひ、りといふが如きは語助也、是又畏るべきの義によれり、〉