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三養雑記

雷公連鼓お負の図 雷公お画けるに、連鼓おおふのかたお図すること、王充論衡に見えたるは、世人のしるところなり、しかるに観世音菩薩の眷属に風伯雷公あり、金剛阿咤婆倶経に、雷の連鼓お負へること見えたり、図像抄などにも亦連鼓おおふ図あり、おもふに論衡に俗説といへるは、もと仏説に出たりといふことおしらざるか、さて連鼓お負へる図は、法華経の普門品に、雲雷鼓掣電の文によりて、その声の響お形容したるにやとおもはるヽは、いかヾあるべき、仏家には猶ふかき意もあるべくや、再おもふに、拓古遺文の古篆に雷字お〓かくの如くに作るは、何となく連鼓のかたちによしありとおもはる、その窮理説には、気海観漣に、夫雷鳴即越列吉的爾(えれきてる)之迸炸、而与砲声同其音、与雲反響斯聞殷々雲もの、理に於て間然なし、因雲、佩文斎詠物詩選に、山上に雷お聞の詩あり、宋蘇軾雲、唐道人言、天目山上俯視雷、而毎大雷電、但聞雲中如嬰児声、また願豊堂漫書に、夏日晦菴与客登、顧見山下、白霧弥漫、若大海然、而山頂赤日了無纎翳、俯視突烟暴起、或丈余逓至尺許、亦無所聞、頗異之、従者以為雨作也、及下山村麓人雲、適有驟雨、挟震雷数百已過矣、向所見烟中突起者悉雷也、凡声自下聞之則震、自上聞之則否、所謂山頭隻作嬰児諦者是已と見えたり、富士山おはじめ諸高山いづれも此趣に異なることなし、文章の妙よくその見聞のさまおうつし得たりといふべし、