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岩淵夜話別集

一或時駿府にて夏の空俄に曇り、夕立おびたヾしく、雷の声頻なる折節、家康公御伽衆へ被仰けるは、万事に用心のなきといふ事なし、地震抔は如形急なる物なれども、是以て家作りの仕様もあり、或は家居の所々、能退場お兼て拵置ば、其難お遁るヽ道理也、此雷といふもの計は、何方へ落来るべきとも不計、其上真直に計落ることなし、筋違にもおち下る事あり、何として防ぎ逃べき、然共此神鳴迚も、用心なきにあらず、各合点かと被仰、御伽衆承り、隻今の上意の如く、雷計は用心の仕様も無之奉存候と申上る、家康公仰けるは、用心の仕様あり、各に教ん、たとへば其身大身にて、居宅も広く間数も有之て、住居する時は雲に不及、たとへいか様に浅間しき小家に住居する者なりとも、今日の如く強く雷のする時は、夫婦、兄弟、援彼処に可居事、これ大ひなる用心也、子細は、親子、兄弟、夫婦に不限、其身運命尽て、神鳴に打殺さる当人計は是非に不及也、此用心なきものは、雷雨の烈しき時に限り、家内一所にこぞり寄て居る事、沙汰の限り也、人の多く集りいる処へ、雷が遠慮して落まじきや、若其中へ、おちたらんには、一家根絶しになる道理ならずや、先年京都の町人、神鳴のするに、せまき座敷に家内不残取籠、戸障子お建廻し、火お灯し香お焚ているところへ雷落掛り、座中死人多く、生残る人も大方片輪と也しお、天罪にも当りたる様に雲し、是天罪にもあらず、前世の因果にもあらず、大なる啌気ものといふべしと、御笑ひ被成けると也、