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甲子夜話

世に雷お畏るヽ者多き中に、最甚しきお聞けり、葵章の貴族なりとよ、雷お防ぐ為に別に居室お設く、其制広さ十席余お鋪く、上に楼お構へ、楼と下室との間の梁下に布幔お張て天井とし、其下に板にて天井お造り、其下に又綿布の幔お張て又天井とす、これは雷は陽剛のものなれば、陰柔の物にて堪るが為に、かく設くるとなり、かくあらばもはや止るべきお、楼屋の瓦下と天井板との間にも、又綿お多く籠て防とす、最可笑は、楼下の室の中央に屏風お囲摎し、其中に主人在て、屏中は被衾の類お以て、主人の身お透間なく塡て、屏外には近習の諸士ども周囲して并居ることなりとぞ、これ妄説にあらず、或人目擊の語お記す、物お懼るヽも限あるべきことなり、かヽる挙動にて不虞の時、矢石の中へ出らるべきにや、武門の人には余りなることとぞ思はる、