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碩鼠漫筆

糸ゆふ考 清水浜臣の拠字造語抄雲、按ずるに、遊糸は古く糸ゆふとのみ歌によみ来れるお、此永久四年百首には、七人みな遊ぶ糸とよめり、是より先にありしや、大方見あたらぬやうなり、遊糸の字にすがりてよめれど理り協はず、近頃の歌には凡てよむことながら、心あらん人は庶幾すべからぬ事にこそ〈以上〉と、見えたるおおもふに、古く糸ゆふとのみ歌にもよみ来れりと雲へるは、いともいとも不審き説なり、そも〳〵遊糸お歌の題とせしは、此永久の百首よりさきには、いまだ見もおよばぬ事にて、これお又糸ゆふとよめるは、今すこし後なるべし、さるは丹後守為忠朝臣百首に、野外遊糸の題見えて、例の遊ぶ糸とよめる歌四首あり、按ふに、こは永久百首にならへるなるべし、さて其外に今一首〈兵庫頭源仲正うた〉野辺みれば春の日暮の大空に雲雀とともに遊ぶ糸ゆふ、とよめるありて、これ糸ゆふとよめる歌の、根源とおぼしきなり、〈此為忠家百首は、一題八首の例なれど、遊糸の歌のみは以上五首ありて、三首欠たり、〉此百首詠ありし時代は、永久より二十年許後なる、保延の頃なるべし、しか思ひとらるヽ故は、長承三年十二月十九日、中右記に、今夕院渡御三条烏丸新御所雲々、丹後守為忠造進也、為忠叙正四位下とあると、外記日記、久安四年正月十三日の条に、故丹後守為忠入道と見えたるに依てなりかし、さて又保延より六十年許後なる六百番歌合〈按ずるに建久五年に係れり〉に、此題お出されたるには、大方は糸ゆふとのみ詠れて、遊ぶ糸とよめるは少なし、かヽれば遊ぶ糸の方よりも、糸ゆふはすこし後なるが故に、不審とは雲へるにこそあれ、さて此ものヽ名義お、賀茂翁の説〈円珠庵雑記首書〉に、いとゆふは遊糸お後の世の人の、強てこヽの語めきて雲し俗語なるべし、もし又古へより雲たらば、糸木綿(ゆふ)の意にて、ゆふの糸に見なしたるか雲々といはれたるは、まづはよろしげに聞えたる物から、猶よくおもふに然るべからず、春村〈◯黒川〉つら〳〵稽ふるに、空穂物語祭使の巻〈二十二右〉に、かくゆふぐれに〈按ずるに六月つごもりがたなり〉きむだちみすあげて、いとゆふのみき帳ども、たてわたし雲々とあるは、陽炎おいふ糸ゆふにはあらねど、此名の物に見えたるなるべし、さて是お故細井貞雄が比校せし古抄本には、いとゆひのみき帳とあり、是に依てはじめてしりぬ、糸ゆふは原糸ゆひなりしお、よこなまりたるものになむありける、凡て几帳は一幅一幅の上に、絹の平縫の細紐おたれたると、又糸お幾筋も結びたれたると二様ありて、其糸おゆひたれたる方お、糸ゆひの几帳とは雲なるべし、但是お訛謬て、糸ゆふと呼なれたるも、既くよりのならひと見えて、祭使の流布本にはしか見え、栄花物語音楽の巻〈五右〉にも、いとゆふなどのすそごの御几帳、むらごのひもぐして雲々と見えたり、〈根合巻四十六左に、紅のうちたるふたあひのふたへもんのうはぎ、いとゆふのもからぎぬ雲々とも見えたり、猶考ふべし、〉猶雅亮装束抄下に、糸ゆふむすびの狩衣とあるは、其露の糸お雲へるなるべし、〈◯註略〉偖又陽炎お糸ゆふといふは、上件の糸ゆふによそへて、呼そめし物なるべし、さるは此陽炎の異名お、遊糸といへるに由あればなるべし、但しまことの和名は、万葉にかぎろひと見ゆれど、中昔はかげろふと呼びしお、白河帝の御世などにても有べし、又糸ゆふとも名付そめたり、此ほどにやとおもはるヽゆえは、狭衣巻一之上〈二十右〉に、紫の雲たなびき渡ると見ゆるに、びんづらゆひていひしらずおかしげなる童の、さうぞくうるはしくしたる、かうばしき物ふとおりくるまヽに、いとゆふか何ぞと見ゆる、薄き衣お中将君に打かけて、袖お引たまふに、我もいみじくもの心ぼそくて、立とまるべきこヽちもせず雲々と、見えにたるこそ、陽炎おしも糸ゆふとよべるはじめかとおぼゆればなり、さてさし次は彼仲正の歌なり、かヽればさきの糸木綿の説は、よろしげにして宜しからず、〈木綿は楮木の皮お麻の如くさきたるおいへり、さればもし糸木綿とつヾけて、木綿お糸という理り協はヾ、麻おも糸麻といはるべきに似たれど、しかよべる事ふつに見えねば、糸木綿とも亦いはれぬなるべし、〉また遊糸の遊の音訛などいふめるは、いと拙くして雲にたらねば、糸結の義と決めたらむこそよからめ、さてかくしるしおへたるお、大江章雄打見ていへらく、糸ゆふは白河の御世より、今すこし古く見えたり、さるは和漢朗詠集雑部、晴とある題の歌に、霞はれみどりの空ものどけくてあるかなきかにあそぶいといふ、とあり、但寛永の刊本には、あそぶいとゆふとありと雲へり、かく雲へるに驚きて、一とせ古筆了伴より柳営に奉れりし、公任大納言の真蹟といふ本、幸ひさきに比校して置しお、取出て披き見るに、其真本も亦あそぶいとゆふとありて、それお墨もてけちたるかたへに、同筆にてあそぶとり見ゆとあり、按ふに諸本に遊ぶいと見ゆとも、あそぶ糸ゆふとも見ゆる事は、あるかなきかにと雲ふ四の句にひかれて、ふと書僻めしがひろまれるにはあらじか、されば彼古抄本にあそぶとり見ゆとあるかたも、しかすがに捨がたく、流布本のみには拠がたければ、さのみ的証ともいひがたかるべし、