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鹿の巻筆

ばんどうや才介
浅草新寺町にすご六のばん、さい、どうなどつくる事めいじんの細工人あり、江戸中よりあまねくあつらゆるものもおほかりける、さるによつて弟子なども四五(○○)人ありて、ふつきにくらし、名おばんどうや才介とつきけり、さてうらにやぶのありしに、此竹おきりてどうにつくるほどに、竹の子などのじぶんは、ずいぶんたいせつにしたり、さればもしや人の、竹の子おぬすみて、きりもやせんとおもひて、かぞひしるしなどおつけておきしに、いつのまにか、竹の子十四五本もぬすみとりたり、才介もつての外に立腹して、弟子どもよびて、とかく外からぬすむべきにあらずと、こと〴〵くせんぎするに、きけばすきとすごろくの事にて申あいけり、やいそこなでつち(○○○)めはしらぬか、でつちきいて、わたくしが重二(○○)や三にて、そもやそも此竹の子おとりませうか、一六(○○)におといなされいと申、一六およびてせんさくすれば、うらに母いんきよしていらるゝに、いんきよのしゆ三(○○○)さまにおきゝなされいと雲、さらばとて、さい介いんきよへゆきて、しゆ三坊こなたは、竹の子はきりたまわずやといふに、いんきよ、さて〳〵おてまへのたいせつにしらるゝものお、おのれきる物か、そなたのぶせうからおこつたじやう六(○○○○)ばかりかいていて、うか〳〵としたるゆへ、でく(○○)介や三四(○○)郎およびてきゝやれ、あいつらが一二(○○)おあらそふて、四かねるやつでないといわれて、又両人およびてとふに、我々四六(○○)年もほうこうつかまつります、ずいぶんふぎはつかまつらぬ物お、六地に御意なされい、われらがばん(○○)はしませず、たとひどう(○○)ぎりになりまするとても、ぞんじませぬといふ、さい介きいて、おのれらがあたしはさい(○○)〳〵の事じや、一おうつてばんおしるおのれが、おふめにみていれば、目のない(○○○○)ものじやとおもふが、たま〳〵ものおいひつけても、ぐし〳〵ばかりぬかして、しろ(○○)きおくろ(○○)とあらそひても、あらそわせぬぞ、くつともぬかすときるぞ、手はみせぬといふ、その時三四郎、いかにでく介、もはやばんじきわまつた、此うへはどうもならぬ、だんなむし〳〵いわしやればせひなし、おみとおれとさしちがひ四の二(○○○)さと、いろおちがへていへば、四の二といわれて、さい介ものぼりつめておりばがなかつた(○○○○○○○○○○○○○○)、