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柳亭記

双六おうつ時の口遊並追まはし
廃れし遊びは双六なり、予〈○柳亭種彦〉おさなき頃も、双六おうつ者百人に一人なり、されど下(お)り端(は)お知らざる童はなかりしが、近年はそれも又廃れたり、さて双六おふるときの口遊(すさび)にいふことありし、五四(ぐし)おふれば、五四(ぐし)々々と諦くは深山の時鳥、三六なれば、三(さぶ)六さつて猿眼、又重五(でく)およするとき、さつとちれ山桜、五は桜の花に似たり、それが二つ並びていづるは、桜のちるさまなればなり、是等は父にならひて、予が童のとき、いひつゝ双六おうちしなり、今おもへば此口遊びはふるき事なり、三六さつて猿眼は、飯おたく法、どう〳〵火に、ちよろちよろ火、親が死ぬとも蓋とるな、三尺さがつて猿ねぶりといふ諺の、もぢり口なるべし、
俳諧世話焼草〈一名世話尽し、承応三年、土佐国円満寺の僧皆虚撰、明暦二年刻、〉双六の話、二(に)くい坊主の布施好、さつとちれ山桜、ししめせ坊主声の薬に、ぐつと呑んで実おはけ、六尺おどれ沖のこのしろ、いちに(/一 二)ほうきはうりかひの升、ぐいち(/五 一)かす酒髭につく、しら〴〵は馬にめす、十人ぎりは曾我兄弟、いちちんいふぞ和田のよしもり、さゞ(/三三)波や志賀の都、下(しも)作りは船が速い、ぐに(/五二)ん夏の虫、ぐし(/五四)〳〵腹のたつばかり、ぐに(/五二)くま太郎てゝは藤四郎、その間に月はぶら〳〵、
至来集〈延宝四年胡兮撰〉 さつとちれの双六盤山桜、冷笑子とあり、さつとちれ山桜のみ予がおぼえし如くなり、ぐにん夏の虫といふは予もいひたるお忘れ、此冊子お見て思ひ出したり、此ほか此書に鰻之目、手打、かどや、棒さし、おりは、追曲など、双六にかゝつらひし詞お寄たり、此手打といふ事、源氏常夏の巻に、あふみの君が手うたぬ心ちし侍れとあるこれなり、おなじ条に同じ君がせうさいせうさいとのたまふも、はやく絶たる彼口遊にはあらずや、小采にては聞えがたきやうなり、近き承応の口遊すら、今しれざるが多し、ましてや源氏の頃の俗語考へうる事かたかるべし、予双六はたゞ並べるのみおおぼえし故にや、世話焼草に記し詞解せざるうちに、追まはしといふ事は、童のときならひたり、〈○中略〉
俳諧崑山集〈慶安四年印本〉 鹿 田のさい(采堺)目しゝの角ふるや追まはし 三徳
俳譜天水抄〈慶安五年写本、 〈前句〉印本とは別本、〉まづはきれたり〳〵
〈附句〉打続きよ目の出たる追まはし 貞徳
夢見草〈明暦二年休安撰〉 暮て行年や双六追廻し 義陳
昔はおこなはれしとおぼしく、是等の句多くあり、又五けの津余情男〈元禄十五年印本〉に、芝居の時このはやり歌、二上りの三味線にのせて、拍子もかまはずわめき、是もおもしろうないと、追まはしのおりは双六などいふ事あり、