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還魂紙料

浄土双六附冶良双六、冶良紋楊枝、道中双六、
絵双六といふもの、漢土にはふるくよりあれども、本朝にはふるき書には見えず、浄土双六といふものぞ、絵双六のはじめなるべき、それさへいつの頃よりある歟詳ならず、俳諧の発句には、万治完文中よりあり、仮字草紙に見えたるは、貞享元年の印本、西鶴二代男に、吉原の遊女の遊びたはぶれて居ることおいふ条に、或は手相撲、火わたし、浄土双六、心に罪なくうかれあそぶお雲々、又初音草噺大鑑〈元禄十一年印本〉に、九月の中頃日待おせしに、明がたき夜のなぐさみとて、小歌浄瑠璃物まねなど、さま〴〵なる中に人の心の善悪は、これで見ゆるものぢやと、浄土双六おうちけるに、やうちんへおつるもあり、餓鬼道へゆくもあり、一人は仏になりたうとてよろこぶ雲々、又今様廿四孝〈宝永六年印本〉六の巻に、高下貧福世間は浄土双六おうつが如し雲々、又野傾旅葛籠に、あの浄土双六打て居る、色のあさ黒女の子雲々といふことあり又舞台万人鬘にも、浄土双六お少年のうつ事お載たり、この二書は刻梓の年号なし推量おもふに、正徳年間の草紙にやあらん、なほちかく見えたるは、潜蔵子〈享保十六年著、元文五年印本、〉上の巻に、此節弘誓の船にはのるべき人もなくて、廿五の菩薩も毎日の隙ゆえ、遷仏図(じやうどすごろく)ふりてあそび居給ふ雲々、是等の書にいふところおもつて、むかしはかの双六の流行しおおもふべし、〈○中略〉さて此双六は南無分身諸仏の六字お、四角あるひは六方の木に書て目安とし、南閻浮州よりふり出し、あしき目おふれば地獄へ堕、よき目おふれば天上に登り、初地より十地等覚妙覚等お経て仏に止るお上りとするの遊戯なり、〈○中略〉万治完文の書籍目錄掛物の部に、浄土双六と載たるは是なり、完永正保の頃梓刻せしものなるべし、又延宝天和の書目錄に、浄土双六、同中、同小とあるは、この双六いよ〳〵流行(おこなはれ)て、あるひは抄略し、或は縮図したるお彫せしなるべし、又貞享元禄の書目錄に、浄土双六、同懐中、道中双六、野良双六とならべ出せり、懐中といふは、前の小とあるに同物なるべし、〈○中略〉
浄土双六の牌匣〈○図略〉 或人浄土双六の札筥いふ物お蔵す、牌は紫檀にてつくり、花鳥お蒔絵したるものなりしが、小児の玩弄にうせたりとぞ、此札おおのれ〳〵が目印として、かの双六おうち廻りしものなるべし、匣の大さ竪四寸九分、横三寸六分、深さ壱寸五分あり、