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好問堂記

おでゞこ双六年代考 按ずるに、此双六は、正徳享保の頃のものなるべき歟、此中に団十郎もぐさと雲あり、今浅草東本願寺の門前に、この艾お粥家ありて、其店の招牌に、此双六にある所の昼にひとしき艾売の人形お出し置り、むかし此艾うり始の頃、ひろめの為、俳優の名家市川団十郎なるもの、〈二代目団十耶、幼名九蔵、後に改て海老蔵と雲、〉宝永六年己丑の秋、傾城雲雀山といへる狂言に、久米八郎の役、艾売の姿にて艾尽しのせりふありし事、其家口牌に伝ふ、是団十郎艾の権輿なりといへりとぞ申けりとある下に、角前髪の人物上下お著し、手に三絃お携へたる図あり、按に当時の物貰なるべき歟、予先年ある人の家にして、英一蝶の戯画にかける人物の図あるお見たり、仍て考ふるに、一蝶其先多賀朝湖と雲、宝永六年謫居より帰りて後名お英一蝶と改むるとぞ、然れば此画も宝永以降のものにして、団十郎もぐさと時代お等うすべし、故に此双六お正徳享保の頃のものなりといへり、
文化乙丑初冬 江戸 莞斎蔵
右はおでゞこ双六お、さる処にて再板せる時の上袋に記しありし文なり、莞斎何人といふ事 おしらず、