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日本行脚文集

囲碁記 白色空陽の大極は、形よりうへの至誠の具、黒色相陰の無極は、象より下にあらはれて明徳の器なり、所謂二(てう)か一(はん)かの顕密、動静端なく、変化窮りなきの矩ぞおかしきや、焉によりて是お慮に、棋一局の上に、盤法棊一の修行あり、一手いつれの先(せん)にかへる、一三おうみ、三亦三およびて、九曜お聖目(ひじりめ)と名づく、細目(さヾれめ)は年月のたゝかひ、三百六十の骨頭の奴婢も思慮に退屈、手に無尽の公案お困じにたれば、九万八千の毛孔の眷属も分別に汗お巻、両人二儀の中央、土台四角の金色盤、其色黄なる薢盤お錬合し、その音宮の響、子声丁々然たり、石に黒白の凡聖お見せ、四教五時の手だて、八宗に経緯たり、中にも九年盤壁の蘆の葉入道、自己の心眼お二 (つめなり)て上根上智の〓(あたま)から水おかけ、高談善巧の唇に蕃椒お吸つけしも、しらぬ顔したるぞ世一の碁所とはいふめる、此玉盤会下に、不変常先の碁祖六祖、七目乱のつくり物おむねとし、一千七百則の碁鏡おつゞり、四目(つ)ごろしの狗子髫髪、六目むさしの野狐童おはじめとして、高慢魔心の障費しお鏖にせんとなるべし、嗚呼先手は既に沙羅林にさり、後手はいまだ鶏頭城の碁笥より出ず、番除の中座に覰(のぞきで)お見て、無門のせきのやぶれに爪弾し、不禅の根なし石にかたづおのむ、乱碁粉灰の抓合になりて碁代おあらそひ、あるは竹の節の囿に消遥し、寝浜の原に遊戯す、下手の永膝、百会の禅鞠おおとし、五陰幻城の責合に馺(はねこみ)お進み、四蛇泡軍の追落しにすくみ手おうち、又は三有沈淪の仇(むだ)手、五夢顚倒の悔手、碁敵の因果、綽(むくひて)おいどみ、碁罵(ごたはこと)に舌おかへさぬ、文に曰く、横無初終二世碁心、たがひに前生の罪お質とり手だまし、五欲の松、三毒の飛(けいまとび)に、但裼と俯焉と無明の手負石に煩悩の門(あしだ)おはく、かつ邪正一目お捨、十地に趬(はねあがりで)おねらひ、無為の塁地(/らいち)に尖(こすみ)まはる、ある時は二河の粘橋(そきてばし)お盤(わたりで)にかゝり、三界唯関(いつけんとび)、お見損じ、心外無間の穴へ挟しお、毒蛇の口網おもて㠔(うつてとりで)ぞあいなきや、有無の中碁に至りては、諸方実目に見まはし、崩限(くづしぎは)の終焉、目まぎれに惑ては、過去塵点の劫のたて替なく、外にむかつて助言お求、左右に著して宮仕小性の目せゞして、小盞の抑(おさへで)お握り、肴お捺(うちはさみで)に、手為見(てみせ)禁の扱おもきゝいれず、あなや生死の点(なかて)におどろき十廾卅棒(とうはたさんじうばう)の目算に跨(またがりで)ある時は善惡不二の幹(うちかへで)おくらはし、〓槃ともに断(たちぎりで)おいれ、直指人身の掌に隠浜おしては、見生上手の品おあらはし、修多羅の碁経は、徒目(だめ)さす指のごとし、八万諸勝負の奥の手も一目不切、碁聖別伝、不立凡石、隻あらまほしきは本来の待石お見立、不行不来の征(してう)お悟、盤中乾坤の夢石お直し、有漏の消地(けち)おさゝむよりは、事理持碁にうちなし、檜柏(ひのきかや)のばんじお放下して、無念無生の線香お杖につき、非空の心庵にかへり、碁勢不可得の定石お見つけ、贏輸(かちまけ)の境お離れ、鷺烏(しろくろ)の間に居らば、無無無無と〓(えみおふくむ)こそおかしけれ、