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因雲碁話

本能寺にて囲碁の事
天正十年、信長公明智光秀が中国の毛利征伐援兵に趣く武者押しお、御覧成されべき為め、近州安土より御登りなされ、京都本能寺に御逗留なり、六月朔日、本因坊と利玄坊の囲碁お御覧、然るに三劫(○○)といふもの出来て、其碁止めとなり、拝見の衆中も奇異の事に思ひけるとなり、子の刻過ぐるころ、両僧帰路半里ばかりにて、金鼓のこえ起るお聞きおどろきしが、是れ光秀が謀反して攻め来たり、本能寺お囲むにてぞ有ける、翌二日同所にて信長公御生害なり、後に囲碁のことお思ひ出だして、前兆といふこともあるもの哉と、衆皆々雲ひあへりといふ、またその時の碁譜成とてつたへたり、此の碁おおもひ見るに、利玄が隅の石おとらるゝお見損じたる本因坊が、布置手配の様子、是亦前兆ともいふべき歟、