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宗長手記
越年は、〈○大永三年〉薪酬恩庵傍、捨密下炉辺、六七人あつまりて、田楽の塩噌のついで、誹諧たびたびに、〈○中略〉
碁盤のうへにはるは来にけり
うぐひすのすごもりといふつくり物(○○○○○○○○○○○○○○○○) 宗鑑
朝がすみすみ〳〵までは立いらで 宗長
是も愚句、つけまさりはべらんかし、