[p.0065][p.0066][p.0067]
今昔物語
二十四
碁擲完蓮値碁擲女語第六
今昔、六十代延喜の御時に、碁勢、完蓮と雲ふ二人の僧、碁の上手にて有けり、完蓮は品も不賤して、宇多院の殿上法師にて有ければ、内にも常に召て御碁お遊しけり、〈○中略〉此て常に参り行程に、内 り罷出て一条より仁和寺へ行とて、西の大宮お行く程に、衵袴著たる女の童の穢気無く、完蓮が童子お一人呼び取て物お雲ふ、何事お雲にか有らむと思て見返り見れば、童子車の後に寄来て雲ふ、彼の候ふ女の童の申候也、白地に此の辺近き所に立寄らせ給へ、可申き事の有る也と申せと候ふ人の御する也となむ申すと、完蓮是お聞て、誰が雲はするにか有らむと恠く思へども、此の女の童の雲ふに随て車お遣せて行く、土御門と道祖の大路との辺に、檜墻して押立門なる家有り、女の童此也と雲へば、其に下て入ぬ、見れば前に放出の広庇有る板屋の平みたるが、前の庭に籬結て、前栽おなむ可有かしく殖て砂など蒔たり、賤小家なれども故有て住成したり、完蓮放出に上て見れば、伊与簾白くて懸たり、秋の頃の事なれば、夏の几帳清気にて簾に重子て立たり、簾の許に巾鑭(かざりきらめ)かしたる碁枰有り、碁石の笥、可咲気にて枰の上に置たり、其傍に円座一つお置たり、完蓮去て居たれば、簾の内に故々しく愛敬付たる女の音して、此寄らせ給へと雲へば、碁盤の許に寄て居ぬ、女の雲く、隻今世に並無く碁お擲給ふと聞けば、而も何許に擲給ふにか有らむと極めて見ま欲く思えて、早く父にて侍りし人の少し擲と思て侍りしかば、少し擲習へとて教へ置て失侍て後、絶て而る遊も重く不為に、此通り給ふと自然ら聞侍つれ、〈○此間恐有誤脱〉憚作ら咲て雲く、最可咲く候ふ事かな、而ても何許遊ばすにか、手何つ許か受させ可給きとて、碁盤の許に近く寄ぬ、其の間簾の内より空薫の香馥く匂出ぬ、女房其簾より臨合たり、其時に完蓮、碁石笥お一は取て、今一つお簾の内に差入たれば、女房の雲く、二共給ひぬれ、然て其に置給へと申何てが恥かしく擲む、〈○一本此下有と字〉完蓮最可咲くも雲ふかなと心に思えて、碁石の笥お二つ作ら前に取置て、女の雲はむ事お聞かむと思て、碁石笥の蓋お開て石お鳴して居たり、此完蓮は、故立て心ばせなど有ければ、宇多院にも而る方の者に思し召したる心ばせなれば、此お極く興有て可咲く思ふなるべし、而て几帳の綻より巻数木の様に削たる木の、白く可咲気なるが、二尺許なるお差出て、丸が石は先づ此に置給へと雲て、中の聖目お差す手お可受申けれども、未だ程も不知らば、何とかはと思へば、先づ此度は先おして、其程お知てこつは十廿も受け聞えめと雲へば、完蓮中の聖目に置つ、亦完蓮擲つ、女の可擲つ手おば木お以て教ふるに随て擲持行く程に、完蓮皆殺しに被擲ぬ、讒生たる石は結に差まヽに手重く不擲とも、大方お守て手向へ可為くも非ず、其時に完蓮思はく、此は希有に奇異の事かな、人には非で変化の者なるべし、何でか我れに会て、隻今此様に擲つ人は有らむ、極めて上手也と雲ふとも、此く皆殺しには被擲なむかと、怖しく思て押し壊つ、物可雲方も思はぬに、女少し咲たる音にて亦やと雲へば、完蓮此者には亦物不雲ぞ吉きと思て、尻切も履不敢へ、逃て車に乗て散して、仁和寺に返て、院に参て而々の事なむ候つると申ければ、院も誰にか有らむと不審がらせ給て、次の日彼の所に人お遣して被尋けるに、其家に人一人も無し、隻留守に可笑気なる女法師一人居たり、其に昨日此に御座ける人はと問へば、女法師の雲く、此の家には、五六日東の京より土忌給ふ人とて渡り給ひしかど、夜前返り給ひにきと、院の御使の雲く、其渡り給ひける人おば誰とか雲ふ、何にか住給ふと、女法師の雲く、己は誰とか知侍らむ、此家主は筑紫に罷にき、其お知り給へる人にや有けむ不知侍と、御使返りてかくとかたりければ、其後は沙汰無くてなむ止にける、内にも此由お聞召て、極く奇異がらせ給にけり、其時の人の雲は、何でか人にては完蓮に会て皆殺しには擲たむ、此は変化の者などの来りけるなめりとぞ疑ひける、其頃は此事おなむ世に雲合へりけるとなむ語り伝へたるとや、〈○又見古事談〉