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今昔物語
十二
多武峯増賀聖人語第三十三
今昔、多武峯に増賀聖人と雲人有けり、〈○中略〉竜門寺に有る春久聖人と雲は、此聖人の甥也ければ、年来極て睦じき間、其の聖人来て副ひ居たりければ、聖人極て喜て、万の事共お語りてぞ有ける、而る間聖人既に入滅の日に成て、竜門の聖人並弟子等に告て雲く、我が死せむ事今日也、但し棊枰取て来れと雲ければ、傍の房に有碁枰取て来ぬ、仏居え奉らむずるにや有るらんと思ふに、我れ掻き発せと雲て被掻起ぬ、其枰に向て、竜門の聖人お呼て、碁一枰打たんと弱気に雲へば、念仏おば不唱給して、此は物に狂ひ給ふにや有らむと、悲しく思へども怖ろしく止事無き聖人なれば、雲ふ事に随て、寄て枰の上に石十許、互に置く程に、吉々不打と雲て押壊つ、竜門の聖人、此れは何に依て碁は打給ふぞと恐々づ問へば、早う小法師也し時、碁お人の打しお見しが、隻今口に念仏お唱へながら心に思ひ出られて、碁お打ばやと思ふに依て打つる也と答ふ、〈○下略〉