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奥州後三年記

真衡〈○清原〉子なきによりて、海道小太郎成衡といふものお子とせり、年いまだわかくて妻なかりければ、真衡成衡が妻おもとむ、〈○中略〉真ひらこの女〈○多気宗基孫〉おむかへて成衡の妻とす、あたらしきよめお饗せんとて、当国隣国のそこばくの郎等ども、日ごとに事おせさす、〈○中略〉出羽国の住人吉彦秀武といふ者あり、〈○中略〉秀武おなじく家人のうちにもよほされて、この事おいとなむ、さま〴〵のことどもしたる中に、朱の盤に金おうづたかくつみて、目上に身づからささげて庭にあゆみいでたり、庭にひざまづきて、盤おかしらのうへにさゝげていたるお、真衡、護持僧にて五そうのきみといひける奈良法師と囲碁おうちいりて、やゝひさしくなりて、秀武、老のちから疲てくるしくなりて、心におもふやう、われまさしき一家の者なり、果報の勝劣によりて主従のふるまひおす、さらむからに老の身おかゞめて、庭にひざまづきたるお、久しく見いれぬ、なさけなくやすからぬことなりとおもひて、金おば庭になげちらして、にはかにたちはしりて門のほかに出て、そこばくもちきたる飯酒おみな従者どもにくれて、長櫃などおばかどのまへにうちすて、きせながとりてきて、郎等どもにみな物のぐせさせて、出羽国へにげていにけり、真衡、囲碁うちはてゝ秀武おたづぬるに、かう〳〵してなんまかりぬるといふお聞て、真衡おほきにいかりて、たちまちに諸郡の兵お催して秀武おせめんとす、兵雲霞のごとく集れり、