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油井根元記

丸橋忠弥奥村八郎右衛門口論の事夜の雨の足おしのぶ藁屋の軒は、おのづから閑居の思となりて、是発心の中立なり、崩たる忠弥が槙の戸の雫お払ひ、奥村八郎右衛門、油井正雪落合、二つ三つの咄も四方山の梢に渡りて、飛花落葉断(のことわり)お告る碁といふ者こそ勇ましけれ、いざと八郎右衛門碁石おとりて正雪おすゝむ、丸橋もいさみて見物しけるが、丸橋わたらば錦中や絶なんと諷ければ、正雪渡りお引、八郎右衛門忠弥が袖お引て、めいわくの謡かなと制しける、やゝ有て忠弥又首かき切てと諷ふ、正雪切ける、八郎右衛門忠弥おはたと白眼て、日頃にも似合の忠弥がふるまひかな、盤上の助言再三なるぞや、おとなげなくも某おあなどり給ふか、一命は毫毛よりも軽し、名は万代に残るものぞ、一寸の虫にも弐尺三寸の魂ぞと、刀に手おかける、忠弥は色おもかへず尻打たゝいて、ぎやう〳〵しの八郎右衛門どのと興じける、そのまゝ正雪中に立て、忠弥お白眼て奥村に向ひ、隻今の一手お用るにこそあれ、畢竟碁なり、是ほどの事に遺恨なるべき、唯打給へと碁盤押直し打立けり、半過たる碁に、正雪十四五目も勝なるべきお、打損じて三目正雪負ぬるにぞ、奥村も心とけて、閑は時の忠なりと笑に成ぬ、去ばこそ油井は、古今の勇士、智仁お兼たる武士のやたけ心ぞおしまるゝ、そもそも此の八郎右衛門、真先に一味すべき身の、其の沙汰おのがれぬる事は、此の口論故なりとかや、