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因雲碁話

賭碁流行の事
囲碁双六ともにいにしへは賭物ありしと見えたり、然れども其の甚だしきに至るゆえ、憲章賭お禁ぜられたり、天正の頃より別て流行し、宝永正徳までの際は、賭碁のこと聞えず、享保の末年より其の端お開きし様に見えたり、宝暦明和に至りて、賭碁渡世のもの間にきくことあり、備中に源五郎といふもの出て、諸州お遊歷し、賭碁に凡そ三千両の金子お勝得たりといふ、其金にて田畑等お買、豊富に家おおこせしものたゞ一人なり、唯其の後尾張の徳助、阿波の米蔵等も、三千両ばかり勝ちたりといふ、然れどもみな〳〵酒食遊女博奕等にのみ遣ひ果し、終りお能くするものお聞かず、円次政五郎、周平三之助等、明和安永の頃、各賭碁おもつて業とせしものどもなり、