[p.0083]
翁草
百四十二
抑囲棋の事は、神祖好ませ給ひしに仍、京師法華宗寂光寺塔頭、本因坊算砂と雲もの、其頃碁の妙手なる故、江都へ召れ、御扶持お賜ひ、碁所に被仰付、夫より相続て安井算知、本因坊道策など、独歩の国手段々に出て其道お輝す、就中道策は本因坊道悦弟子にて、小僧の時より生れながらの奇材也、其頃の名人算知と手相お望て廿番碁有り、算知に勝て碁所に任ぜらる、名人より優りたれば、可称名目なしとて古今の名人と呼、此道始つて和漢にかゝる傑士なし、師匠道悦、他の弟子お諭して、必道策お学ぶべからず、渠は古今傑出の者にて霊妙有り、普通の人之お学ばゞ、究て邪路に入なんと戒たり、是完文より元禄中也、右之外井上因碩、林門入など、皆碁家に仰付られ、各励て碁所に成ん事お願ふ、、碁所になれば、残る碁家の者共お始、此道に携る者、皆碁所の支配にて、道の事に於て何に不依違背する事ならず、碁所は御紋の時服お被下、去れども急度御目見以上の格にも非ず、格外なるもの也、今の本因坊察元、井上因碩、〈半名人〉と手相お願ひて、之お遂て当時の名人碁所に任ぜらる、享保年間、本因坊道知死して後、名人絶て、井上因碩漸く半名人にて有しお、察元志お励して竟に碁所お復せり、本因坊は、元祖以来代々経ても住居は京都、召に仍て在府の格にて、御宛行は今以京二条御蔵より渡る、安井、井上、林の三人は東武御蔵にて御宛行お被下也、