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因雲碁話

秀吉公両将お評し給ふ事
本因坊道策身まかりて後ちは、井上因碩また一代の名人、碁博士の上首たり、或人問ふ、たとへば故先生世にいまして、足下に競ひたまはゞ如何あらむといふ、因碩この事は予も年来考ふる事にて候、予先お置なば、百戦百勝おそらくは相違はあらじ、先生は此の道の聖にして、前に古人なく、後に来者なく候へども、予先だにせば、必ず負じと存じ候なり、碁の位はあらまし知れければ、さとりたまへといふに、其の人、実に世人の評にも、また足下の申給ふやうに申候なりとほむれば、因碩これもまた年来思ひ考ふる事にて候、今先生と真の勝負お試み候はゞ、某三目弱かるべしと雲ふ、其の人不審顔しければ、世の人いかでか予が碁の位お知り候はん、今の局は十九道お縦横にして三百六十一目なり、此の局の上の手段は、予みな悟り居候へば不覚は致すまじく、また此の局お四つ合せ候へば、一千四百目となり候、もしこの局上にて戦はむとき、某は望洋することも候はんずれども、先生は猶も広かれとこそおぼすらめ、然れば三目にても覚つかなく候と答へし、芸も智もかぎりなきものなり、