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陰徳太平記
十三
備雲石武士変志事
忠興〈○細川〉大内尼子の勝敗は、其理適当して覚え候、〈○中略〉夫棋お囲み候に、下手なる者は、三石も五石もさきに置て打候へば、上手にも勝事に候、然る故に天下の碁所にも、或は上手の手相お免し、又は先二つ三つなど定め候、晴久は将の器お比喩せば、当時日本にては上手か、先先先、先の手相までは下り候はじ、更ば誰おか碁所と定め可申や、〈○中略〉さて先に申す如く、元就の武勇、棋に比せば、国手にてもあれ、上手にてもあらんかし、敵手に五石六石、乃至星目置せぬれば、勝お取事は希こして負る事は多し、晴久は先先先の棋になして、元就の碁所に対せば、手相は先二つならん乎、其軍勢はに十倍しぬ、多少お論ぜば碁のひじり目おも杳に過たり、先先も、或は先などの敵手に聖目も置せたらんは、勝なん事は希有にして、敗績のみ多かるべし、是お以て思へば、元就の分際にて晴久お亡さん事は、中々難きことにてぞ有んと被申ければ、隆通否とよ左に非、忠興の比喩、似たることは似たれ共、是なることは不是、今諸国、十二諸侯七雄の如くに分れて、奕棋の如くに乱れたり、〈○下略〉