[p.0141]
当世武野俗談
七国将棊
晋の七国将棊とて、近年朝鮮国より将軍家へ献じたり、晋の七雄将取合駒組にて、其盤大さ三間四方なり、駒数多く、是おさすに七人にてさすなり、将棊腰お懸て、杖のやう成る竹お以てさす故、七国将棊と名付たり、大納言様、〈○徳川家治〉殊の外御好き遊ばし、又田安右衛門督様、〈○徳川宗武〉最初に是お学び給ひ、田安にて御書院番戸田内蔵助妹おくら殿と申女中、上手にさしならひ、此人に続し者は一人もなし、されば西丸家治公も田安へ被仰遣、右のおくら殿御借りよせ被遊て、此女中に七国将棊御稽古被遊候なり、其性により上手に成る事妙なり、