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藩翰譜
四中/大久保
同〈○慶長十九年正月〉廿四日、佐渡守正信父子、〈○本多〉忠隣に配流の奉書お下す、兼てより板倉内膳正重昌、父に久しく対面に及ねば、身の暇賜て上洛すと披露して、忠隣に先だつて都に上り、〈去年十二月十四日に江戸お立つ〉父伊賀守勝重に仰お伝ふ、勝重既に其期に及びしかば、相摸守が旅館に行向ふ、忠隣折ふし象戯に対し居たりしが、勝重お座に請じ、忠隣配流の御使たるよし、さきに承り訖んぬ、流人の身となつて後、かゝる戯あるべしとも覚えず、待ち玉へ、事終て仰せ承るべしとて、静に事お終て後、さらばとて、謹て仰お承り、さなきだに此間洛中洛外、物騒しかりしに、京童ども、忠隣罪蒙ると聞て、すはや事の起るぞとて、資財雑具等、こゝかしこに持運び、以の外に騒動す、忠隣此よし聞て、おのが弓箭兵具、悉く束ね縛て、伊賀守が許に送り、家子郎等皆暇賜て、関東に下しければ、洛中程なく鎮まりぬ、