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浚明院殿御実紀附錄

御晩年〈○徳川家治〉にいたりて、閑暇の御遊戯には、常に象棋おなされけり、その業の者にては、伊藤宗印、宗鑑、大橋印寿おめして対手とせらる、御穎敏にまし〳〵けるゆえ、ほどなく奥儀おきはめつくし玉ふ、後には詰物といふ書おさへあらはし玉へり、詰物といへるは、老成堪能にいたらざれば著しがたきお、わづか一二年の間に、えらみ玉ひしかば、その職の者どもゝ、おそれ奉れりとぞ、その書なりて、名おば成島忠八郎和鼎に命ぜられしかば、象棋考格として奉り、今も御文庫に現存せり、
○按ずるに、将棊書は此他尚ほ少からず、今多く省略に従ふ、