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小弓肝要抄
一矢羽可依人事
後鳥羽院御代者、以雉羽被賞玩之、当代無此儀、凡鷹羽鷲羽之色々、或上首或堪能、就羽之善惡被用之、頗仰上裁者也、雖往古之例有之、
一弓懸事
錦革可有斟酌者歟、又両方のきりくちおまとひ縫也、又縫目にふせぐみおする事もあるなり、
一弓藤事
村藤小長藤常用之、繁藤二所簾於小弓不庶幾、家時卿はつねにつくりたる藤お本末弓〓の上下にまきたるお賞用之、但好士所用心之也、一弓袋事
錦革 紫革 藍革 なめし等也、うらは生の絹なり、継目にふせぐみおするなり、
一矢立事
唐木〈紫檀〉 〈花梨〉 梅 朴 黒柿等也、随好士之所意可用之、
一的寸法絵様事
式的は一尺八寸也、但往古絵様は一尺七寸六分也、其外或一尺、或六寸也、家時卿内々は常用三寸雲々、用小向大者安平なる故也、されば内々はいかにも可用小的也、総式的九十九の射手自然雖有之、六寸的の十矢難有者也、矢数之至極也、家時卿手盛などにこそ、四五度五々度までも十矢ありしが、最大事の物也、又的のさねは椙の板也、いたうすきは、おとのわろきなり、すこしあつきがよき也、はる事晴時は唐紙のきらがみなどにてはるべし、つりおよこなは藍革お細くきうてつくる也、又竹お輪にしてはる事、近代常用之、無其難者也、〈○中略〉
一弓場事
十丈に的お立て、後お二尺五寸のけて布答おば可立也、うちまかせて人の十丈五尺と申はひが事也、堋お十丈五尺にはつく也、的答の寸法は的より上五寸、両方のそは各二寸七分、下二寸五分おすかす也、下の横貫の竹より下おば随座敷高下可相計也、的の答は竹にてひらくまろやうに削候也、晴時はなめしにてぬいくゝむ也、又十丈お打定之時、地形高下有て、丈尺にてうつ事かなはざる時には、十丈の縄おもちて引渡無相違者也、
一布答事
高四尺八寸、広五尺八寸、布六のおたくぬいにしておりかへして、ぬいめおすそになす也、文おつけて染用事在之、思々の事也、但裏はしろかるべし、夜弓の時、うちかへす事有之、又白て用之常事也、又布の細薄は矢通也、中へおりいれて三重にする也、たゞいたくほそくうすからぬよき物也、けしやう革、おもてはなめし、うらは赤なめしたるべし、第二表は藍革、裏は赤革也、革の広さ一寸二分、長さ六寸五分、又つらぬきおば布答にぬいくゝみてはたかたよりかくるなり、又つらのきおば略して、よこ答に布答おいるゝ事在之、異説也、
一作弓事
強弓は竹五重合、中は四重、弱弓は三重也、性吉竹無村削て、がむぎにてすりこそげて、にべおかきて打なり、後竹の弓〓のまはりに節おあてず、又ふしのちかきは悪也、後竹に節三に不可過、凡後竹は弓の命なり、きはめてねばく、性吉竹お可打也、大方前後中へまで節お一所にあて、され打て後、両三日は日にあつれば、組くつろぎ針自然抜也、其時針おもぬき、組おもときて後も、猶一日など日にあてゝ火の上にたかくつりて、煙にあつるなり、十四五日廿日お経てこきたるなり、但卒爾に一束にこきたてつれば、弓の心地おこしらへころす也、漸々にこきたてつればそりけさす矢心地もよき也、又張顔不落居やがて不可引、経一日後可引試也、如此事入稽古之後得其意者也、長四尺一寸也、此内〈上筈一寸、下筈五分、〉弓〓高〈下筈よりゆづるの上のはづれまで一尺五寸也、但弓によるべし、〉弓〓広〈二寸一分也、但藤間也、藤まかぬはすこしみじかくみゆる也、可得其意也、〉
一弦筈絹事
弓の力によりてふとさほそさはし合すべし、あひ弦にて矢心ちはよき也、のがけのいと上一寸七分、下一寸五分、筈絹は白可用也、さぐりのいと三寸三分、矢より上一寸五分、一寸八分也、
一括矢事
箭太細者、可依弓之強弱也、但不依弓力、依人好用太細事有之、能ためこしらへて赤漆にぬるなり、二はけぬりたるよき也、寸法長一尺七寸一分、箭頸八分六毫、此内〈筈一分、但はずまきより上也、毫とは一分お十にわりたる一也、〉筈巻〈七毫〉羽付〈二分二毫〉羽長〈二寸六分五毫〉元巻〈四分五毫〉履巻〈一寸五毫〉各漆おさしたてたる定也、くすね糸〈三分〉但自往古所用来之弓、本様矢引懸的絵様此定也、今も用之、為不所持者所注之也、又銀筈角筈在之、雖庶幾強弓は筈こらへず、ついにそんずる間用之也、