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四季草
一/射芸
はま弓の事
正月男子のもてあそびに、はま弓射る事は、邪鬼お退治するの表相なり、はまとは破魔と書て、魔お破るの義なりといふ説あり、さも有べきやうに聞ゆれども、はまの正説にあらず、はま弓のたはふれ、昔は京にも何方にも有し事なる、べけれども、今は絶て、たゞその弓矢お売り、童のもてあそび物にするのみなり、されども遠国には、其たはふれ今に残れり、土佐国の人の物語に、土佐国畑といふ所の山中の民家にて、正月に幼童はま弓お射る、的は藁縄お以て作る、其形円座の如し、径り壱尺ばかり、其中に径二三寸の穴あり、是お名付てはまといふ、射手弓矢お持て一列に立並て待時、一方よりかのはまお転し走らしむるお、各射るなり、はまの穴お射るおあたりとするなり、はま走り終れば、又一方よりまろばし返して各射るなり、はまおまろばす事は、射手の中より、かはる〴〵出てまろばすなり、是おはまお射るといふ、また大和国吉野郡上市村の人の物語にも、大和にて、はまお射る事右の如し、大和にては、はまころお射るといふ、はまころとは、はまおころばすといぶことなるべし、土佐の人大和の人のいふ所同じ趣なり、然ればはまは的の名なり、破魔にはあらずかし、