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嬉遊笑覧
四/雑伎
はま弓は、はまと弓と二物なり、此ことは先に著しゝ雑考の内にいへり、旧説破魔の字義によりていふは非なり、はまは藁にて造る、それお小弓にて射る戯は、今も田舎にありといへり、〈○中略〉はま弓、はま矢といへども、弓はまといふことは物に見えず、鷹筑波、暖な日はくるふ童浜弓お一入下手や削るらん、又佐夜中山集、〈付句〉みつばよつば作る若殿のはま矢かな、西鶴が、世の人心に、五月の節句に甲、正月に破魔弓進して祝義とる事もわきまへなく、乳母の奉公になれざるものぞかし、〈今は乳母よりかゝる物贈ること、江戸にはなし、〉醒酔笑、いはひすぐるもいなものゝ条、そうりやうの子六歳なり、こ弓にこ矢おとゝのへもたせけるが、元日の朝、矢お一つはなし、俵にいつけ雲々、日本歳時記の画にも、正月こどもの小弓いる処あり、はま弓、今はたゞ祝儀の物たれども、昔は射らるゝやうに造りて売し也、完文七年十一月朔日町触、はま弓結構に致さず、射られ候様可仕候、但人形作り物、一切可為無用事、類柑子、いなつかの灯の条、破魔弓の矢筒とゞろはげたるお火吹とし、画けるまゝの名お松鶴とよぶ雲々、これ画やうはかはらねども、吹竹に用ひしは、今の如く紙のはりぬきにはあらじ、