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槐記
享保十一年八月廿五日夕参候、世に楊弓ほど、かはりたる芸はなし、何の芸も同じことなれども、器用なる人は、朱引かながひ、程なく長ぜるが、若しおつる段になりては、甚だおつるもの也、御前〈○近衛家熙〉には、若き御時、此芸お遊ばせしが、今にては、六七年も御すてなされて、弓とられしこともなし、凡御学びなされし、御手跡御画お初として、御楊弓ほどなれば、世上に推出して、恥かしからぬほどなり、六七年も遊ばさ子ども、いで今日あそばしたりとも、古へにさまで劣るまじと思し召也、これには殊に訳けあること也、世上に、射はじめから、器用にて中る人は、下るも又早し、〈猶も器用にて稽古しげき人、常にあたりておちぬも、頭から中らぬ人もあり、〉これ、は何として中る、何として中らぬ、此道理にて中る、かかる訳にておつると、それ〴〵の訳お、とくと合点したる楊弓に、各別に落るは少し、其訳お合点せずに、唯稽古と、拍子にて中るは、今日は見事の中りにて、明日は各別に落るは、こヽ也と仰らる、これは本が獅子吼院殿〈○尭恕法親王〉の御伝授にて、御覚りなされしと也、〈御園意斎御前に候して、栄君の御方ひところは、各別の御中りなりしが、此ごろは何としてか、各別におちたりと申されしよりして、御意下のごとし、意斎のよきこと申上られたりとこそ覚ゆれ、〉今にても、進藤一葉、細野久兵衛などが楊弓、いつまでも落べからざる筈也、其訳お呑込たる故也と仰らる、〈御前に若き御とき、奈良へ御成ありしに、細野まいりて吹矢お射る、上手也、いで楊弓おと望しに、終に射たることなしとて射しが、一本も中らず、さては吹矢の力にてもいかぬよとなりとて、皆々笑しが、どれにてもあれ、弓匕とつかしたまへとて、取かへり、旅宿にて、これは何とぞ中りそうなるものなり、何としてはづるヽと、訳お工夫して、一夜射徹しけるが、翌日参りて、五十三本中りたり、これら分お合点したる楊弓なりと仰せらる、〉憚りおほきことながら、毎々御咄んお承る事に、感拝することのみなれども、是は又就中各別の御事也、身にあてヽ、ありがたくこそ覚ゆれ、凡そ天下の芸にては、さては医術と楊弓となるべしと申上て、大笑あそばす、〈余(山科道安)毎に人にも語り、自らも工夫して思ふには、いかなれば諸芸の如くに、医術はなきことやらん、余程の人品、人物の人も時によりては、かながいほどの器も、明日は朱引にもたらぬのみか、一本も中らぬ程には、いかに諸芸は、あがればあがるほどの功ありて、彼には増り、これには劣る際あるに、此術になりて、際のなきことよと、数十年来の不審の、今日融けることの有がたさよ、世上の医に、余は及ばずと思ふほどの手柄は、その日の楊弓の出来中り也、あくる日のあしにてはなしとさみするは、その日の、不出来中り也、所詮どうしたわけにてきく、どうした訳にて中ると雲、底の見えぬうちは、出来不出来ともに、楊弓の如し、さるほどに、一病人にても、たまたま其訳けのみえたるに、心覚して〉〈治するは、その一人のわけの見えたる也、何やらしらずに直りたるは、拍子にて中りたる楊弓也、さるほどに直らぬ訳けも、合点ゆかぬ筈也、さてさてありがたき仰お承て、数十年来の惑ひとけて、剰へ此訳ち知り徹りたき一念起れり、今までは生お易たりとも、知るまじと思ひしが、阿とぞ古今の事歷ち経る中に、此一筋の訳だけだに見出したらば、此は見え、これは見えぬほどの位に、いたるまじきことにあらずと工夫す、〉