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翁草

加藤出羽守吹矢筒之事
讃州丸亀城は、完永十八年、山崎甲斐守家治拝領にて居之、相続ひて二代目お志摩守と号、志州卒後、采邑五万石之内、合弟勘解由〈江〉五千石配分、四万五千石お嫡子虎之助領之、丸亀在城の処に、虎之助無程早世、無嗣して仍其跡断絶す、就右与州大洲城主加藤出羽守泰興に、城請取在番共に仰付らる、因滋羽州は人数お卒し丸亀に被差向、其行列巍々堂々たり、然るに羽州自分の馬脇に、吹矢筒に吹矢お添て持せられたり、係る厳重の行列の中に、異様にぞ見へし、此羽州は随分武の心懸賢く鑓の達人成し去れば右の吹矢筒には、何卒子細有べし、其家来に是お尋れども、所以お知たる人無し、異風成事故、援に記し畢、