[p.0214]
幽遠随筆

投壺記
投壺(つぼうち)の遊びは、其始既に久しく、礼記に投壺の篇有て、ことに漢武の世にくはしく、むかしは其籌(や)も棘のおどろ〳〵しきお用ひしが、後は呉竹のすなほなるにかへ、其のりはいにしへによつてさだめ、其妙は今にいたつてきはむ、わざに長じたるものは養由が歩おも恥ず、宗高が扇にも肝つぶさず、もろこしには王侯の前に宴の興おたすけ、我国には青楼の席に風流士の心お悦ばしむ、其かたち瓢に似てかしましからざれば、許由が譏りもなく、腹に赤小豆おたくはへながら、高辛氏が祭りにも奪はれず、一つの口、鼻のごとく守り、二つの耳、うき世の事おきかず、唯宴席に侍て楽みおことゝす、もとより是お投るに銭お賭せざれば、博奕のそしりおまぬかる、〈○中略〉鳴呼いたれるかな、投壺々々、弓は袋に納めたれば、手おもつて籌お投げ、籌に簇なければ、そこなひやぶる事なし、実に太平の姿なり、壺中の赤小豆に千代おかぞへ、呉竹の矢に万世おいはひて、永く君が代の玩とすべしといふ、