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拳会角力図会

太平拳
図〈○図略〉のごとく車座にならび、五人なちば五人、拾人ならば十人居りて、誰よりよみ出すといふことお、最初にきはめおきて、いづれもみな、おもふほど指お出して、其指の数ほど、目当の人よりよみ出し、二十ならば二十、また三十ならば卅めにあたる人に酒お呑す事なり、此拳にあたらざる間は、すこしも酒お呑事ならず、どふぞして、あたれかし〳〵とおもふところへは、とんとあたらず、かへつて下戸の所へ度々あたる事多し、上戸も下戸もたがひにこまる間が、殊のほか可笑(おかし)きも、のなり、扠此拳にあたる人は大に福ありといふて、崎陽にては正月の売初、または戎講などの酒席にて、専らにする事なりとそ、人々此拳おなして、其面白き事おこゝろみ給ふべし、勿論本拳おしらざる人にても、出来る事なれば、其席おほひに賑はひて興あるものなり、此拳一名連子(れんこ)拳ともいふなり、
匕玉拳(すくひだまけん)
是も図〈○図略〉に出せしごとく、唐桑(からくわ)、花梨(くはりん)、紫檀(したん)ありとのかたき木にてこつふお造り、〈図のごとくすこし長き形のこつふなり〉本に長き紐お付、そのはしに同木にて造りたる玉お結び付、右の木酒器(こつふ)へ彼玉お五遍のうちに一遍すくひ入るか、又三べんの中に一へんすくひ入れるか、いづれにても最初のきはめによりて玉おすくひ込み、勝まけおあらそふ、此拳双方かはる〴〵にする事なり、〈猶すくひそんじたるかたにさけお呑す也〉是も酒席に興ありて、はなはだ面白き拳なり、〈是玉おすくひ込みて、其日々々の吉凶おもこゝろみ、または待人などおもこゝろみる事也〉
盲人拳此拳双方ともに指お出さず、互に一時に声お出し、向ふより一拳上おいひし方が勝なり、たとへば、むかふ一(いつこう)といふとき、手前二(りやん)といふこえお出せば則勝なり、幾度にても一より十まで同じ事なり、
長崎丸山の尾崎といふ所に富都(とみいち)と、いふ法師あり、此人と拳お打に、たがひにこえお出すうち、彼法師むかふ相手の手の甲お其度ごとに撫て、先の出せし指お知るに、すこしも違がふことなし、此法師は長崎において、拳の上手の内なり、猶三味線も甚名人なりとぞ、今文化五年にて、年頃廿六七歳といふ、奇妙の法師也、
庄屋拳
庄やどのは鉄ほうに勝ち、鉄鉋はきつねにかち、狐はまた庄やに勝也、いづれも一二三の拍子にて、図〈○図略〉のごとくするなり、〈○中略〉
交拳(まぜけん)
此拳は、まづ初は、たがひにつねのごとく、一拳こえお発し、二拳めはむし拳にて、たがひに指お出すべし、又三拳めは常の拳なり、四拳めまたむし拳、五拳めつねの拳と、段々につねの拳と、虫拳お交々に打なり、右のごとく打合ふ間に入まぎれて、むし拳の場にて、つねの拳のこえお出すとき則負なり、またつねの拳の所にて、むし拳の指お出すときは、是もまた負なり、むし拳のところも、本拳のところも、勝負のところはつねにかはらず、さて此拳いたつておかしきものにて、酒席にては猶興あり、京師浪花などにてははなはだ希也、〈むし拳お出すときは、よひといふかけごえにて出すなり、〉
虎拳(とらけん)〈和藤内 母親 虎〉 〈和藤内はとらに勝ち、とらは母親にかち、母親はまた和藤内に勝なり、勿ろん地方あるべし、〉
是も前の庄屋拳のごとく、三人の役お二人にてする、図〈○図略〉のごとく屏風襖などお隔てゝ、立かたにて二人ともおもひ〳〵の振りありて、一所に出逢ふて勝まけお見ること也、酒気お散じ、至ておもしろくおかしきものなり、〈猶母親のすがたは、杖おつきて老人のふり、虎は這ふて出る、いたつてつよき身ぶりして、白眼み付るなり、〉