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拳会角力図会

行司演舌之事
東西々々、此所におきまして晴雨に拘はらず、一日拳会つかまつりまするところ、其沙汰よろしうして、各々さまがた、御賑々しう御見物に御出くださり升るだんな、会元何某は申におよばず、組中の銘々、かずなりませぬわたくしまで、いかばかりか大慶の色おなしたてまつる、したがつて左右の力者力錺おかけまするあいだ、拳角力の故実おあらまし御耳に触ます、皇のかしこき御代の神あそび、四海太平、五穀豊饒の祭たり、天ひらけて四象あらはれ、陰陽あつて万物せうず、中にも拳な末げいたりといへども、すこしく其規摸おつたへ、角力となぞらへ、酒席のたすけとなし、組うち手練のほまれおあらはすとかや、援に肥州長崎円山開発のとき、彼所の青楼に唐人あまたきたり、宴おまうけ遊女お招き、玉椀琥珀粲然とかざりたて、檻のまへには八珍おつらね、床の側には笙おならし、あるひはからうたお唱、こなたには金鼓おたゝき、喇叭おふき、意気お励まし、ちんた蒲萄の美酒おすゝむ、酒闌はにおよぶのころ、唐人左右にわかれ、礼儀正しく、上よりは拳おひろいまはるあり、下よりは拾ひのぼるあり、火花お散しうちたゝかふ、やがて負と見えたる方家には、ぎやまんの大器に二三盃程づゝのみほして、うしろに退ぞく、其行儀正麗なる事、実に言語に述がたし、今世にいふ崎陽拳の濫觴是なり、扠其時中にも手練達者の拳お五人えり出し、此五人に打勝たるものには、虎皮五枚、豹皮五枚、猩々緋五本、羅紗五本、または美女五人など、さま〴〵の褒美お出し、其勝負お見んと、座中皆こぞりあへり、しかる処はるか末席より壱人の唐人あらはれ出、此五人の達人お何の苦もなくひろひまはり、同席にて美人五人ひろひなげにせしより、五人拾のはじめとす、是則陰陽和合の体なり、さるに因て真の角力の土俵に阿吼(あうん)の二字口あり、阿は開て酒お呑、吼な塞で呑ぬとかや、唐玄宗皇帝の曰、拳な酒席の一助たれば、真に愛すべきものなり、かならず上達の関取うつ、此事わするべからずとかや、拳角力のかゝりにも、十六箇の土俵お布、土はすなはち五行の主にして、余の木火金水お四方に配る、是則四本柱なり、地取にとりては東西南北、須弥にとりては北は黄に、南は青く、東白西紅に染色の山おうつし、四色の絹おもつて幕の上にはり、神明仏陀の御戸帳などゝいへり、なか〳〵左にあらず、北は水にして其性黒く玄武なり、北より巻出し北にてとめるゆえ水引と号く、実の角力な四つより出て、四つの声お放さず、それゆえ四々十六俵の布たるお土俵といふ、拳な一より十までのこえなり、勧進角力は八方正面、拳のすまふな十方正面、一より十迄変声あることは、今諸君子の知れる処なれば、長口じやうはかへつて番数のさまたげにもなりませうづから、唯何事もあらかじめ、まづは左右の力者おうたせ御一覧に入まする、〈拳会角力のとき、行司方五人ひらひの最初のかゝりに此口上お述、其後角力お合す、〉
行司仕様之事
行事はかねて組々の名乗およく覚へ、拳角力の節土俵にかゝり、一通り口演すみて後、拳土俵の東西に出かけて、寄方と書たる張紙あり、此はりがみに目おつけ、出かけの方より出がけ〳〵と呼出し、次に寄かた〳〵と呼べし、さて双方土俵にむかへば、出かけの方より名乗おあげて、其次に寄かた誰と名乗おあげ、角力お合すなり、もつとも拳の故実濫觴の事は、五人拾ひの最初に、行司お預人是お述る、〈此おもむき、真の角力とはすこしの相違あり、〉
同行司意得之事
行事おあづかる人、第一に意得とするは、左右より打たる指およくおぼえ、何々にておりかけたりといふことお得と胸におとしつけ、幾度も折はね〳〵したるときに、うろたえぬやうにすべし、又左右ともにつかれ見え、たがひにこえの合ぬことあり、其時中にて水お入れ、左右へ化粧紙おわたすなども席の摸様なり、さてまた特(わざ)と声の遅き拳、あるひはこえおぬく拳あり、かやうのとき行司のはなはだめいわくする事あり、折にはまたいや〳〵〳〵とばかりいひて、拳のこえが一こえに、いや〳〵お十こえもいふ拳あり、さほどいやなことなれば、最初よりうたぬがよひとおもふ事も儘あり、其余色々むづかしき拳のあるものなれば、行司の役はいづれにも、ずいぶん気ながにしんぼうおせねばならぬことなり、たとへ極寒にても玉おあざむく汗おながし、我家業よりも大切にして眼たゝきもせず、拳ばかりにこゝろおうつし宵より夜のあけるもいとはず、勝負の分るまで厳重に相つとめる事なり、かくのごとく堅固につとめたりとて、誰ありて給銀おくれるものもなければ莪宝お散じて、此役お守るが行司の味なり、奇なり妙なり、〈○下略〉