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柳亭筆記

順礼がるた(〇〇〇〇〇)考証
このかるたは、元禄年間のかぶき役者の姿絵にて、京順礼、江戸順礼などいふ事のおこなはれし頃の酒落なり、難波梅園子の蔵なりしお、花笠文京におくられ、文京又それおわかちて予〈○柳亭種彦〉におくりしなり、京順礼といふは、〈さきにいふ如く、此事江戸及大坂にもあり、〉衣裳にだてお作り、笈褶おまとひ、胸札お掛け、実の順礼の如くいでたち、洛陽の観音の霊場おうちめぐりしなり、完文六年印本年代記に曰、万治三年洛陽の三十三所の観音、此頃より初り、老少あゆみおはこぶと見え、宝永の印本年代皇記には、完文五年詔して洛陽三十三所の観音お定らるとあり、〈此事玉滴隠見にも見えたり〉万治三年、完文五年、いづれが是か考得ざれども、完文四年の印本に、老婆物語と題する洛陽三十三所観音の縁起おあつめし冊子あれば、此事完文のはじめよりおこり、宝永正徳の頃までもありしなるべし、