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古今著聞集
二十/魚虫禽獣
承安二年五月二日、東山仙洞にて鶏合の事ありけり、公卿侍従僧徒、上下の北面の輩、つねに祗候のものども左右おわかたれ、左方頭内蔵頭親信朝臣、右方頭右近中将定能朝臣也、前夜寝殿の巽にあたりて地台一面おおく、五節造物の台のごとし、欺冬おむすびてうへたり、其上に銀の賢木おうへて、葉枝に用之銀台おすへたり、たかさ八尺ばかり也、色どりて藤花おむすびてかけたり、葉柯の南に玉の鶏籠おおく、其北に銀鶏お入ておく、かり屋の東の砌に第一間にあたりて、かざしの花台おたてゝ勝負の美とす、其北に錦の円座おしきて大鼓鉦鼓おたつ、かり屋の艮に盧橘樹おつくりてうへたり、同北妻には薔薇おつくりてうへたり、牡丹欵冬などおつくりてうへたり、左方の念人御前に参集す、右方念人は蓮花王院に集会しけり、おの〳〵皆参の後、列参して西南の門より入て、殿上に参著しけり、たゞし公卿の外はつかず、右方頭中将定能朝臣事具するよしお奏す、すなはち法皇〈○後白河〉出御ありて人おめす、権中弁経房朝臣おほせお承て、はやくはじむべきよしおおほす、其後卿相以下にしの中門の外にくだり立けり、先左方念人首座、次に右方念人西中門お入て参進のあひだ、まいり音声あり、竹屋おつくりて黒木の屋に擬して、春日まうでに准じけり、新源中納言拍子お取て、春日なる御室の山のあおやまのとうたふ、右中将定能朝臣篳篥おふく、右少将雅賢和琴お弾ず、府の随人二人〈壺脛巾著乱緒〉和琴おかく、くだんの両人助音しけり、又陪従信綱も同くつけけり、右兵衛佐基範笛おふく、念人中雅賢朝臣、基範朝臣、家保等、舞人の装束おして参進、見る人差歎せずといふことなし、念人等右に著座の後、左右の頭おめす、左方伊予守親信朝臣、右方右中将定能朝臣御前に参る、左右の鳥同時に持参すべきよしおおほす、すなはち両方の鳥お持参して、南階の間のすのこにおく、一番左衛門督の鳥字無名丸、左少将盛頼朝臣持参す、右五条大納言の鳥字千与丸、右少将雅賢朝臣持参す、左右ともにうそおふく、其興なきにあらず、勝負いかやうにみゆるやうのよし、定能朝臣おもてたづね仰られければ、右のとり終頭理ありといへ共、中間に又左の鳥理お得たり、かつ又一番右かつ、おそれありとて、左右持にさだめられにけり、よて両方かずおさす、左方のかずの判〈○かずの判恐算刺誤〉蔵人右少弁親宗、銀鴨一羽とりて〈兼置鳥屋内〉参進して葉柯につく、次に雅賢朝臣まづ挿冠の花おぬきて錦円座につく、次鳥お取てしりぞきいる、盛頼朝臣おなじく鳥お取てしりぞき入、其後十二番有けり、左方勝四番、右方勝二番、持六番也、次左方楽器おたつ、次楽人参進して楽お奏す、次陵王、〈醍醐童也〉陵王の終頭に右方より定能朝臣おもて、如此の興遊に左右勝負舞お奏する事先例有、いかやうにぞんずべきやのよし奏しければ、用意の事等おの〳〵つとむべきのよしおほせられけり、次に納蘇利お奏す、右近将曹多好方、右近多成長等、つかうまつりけり、次に右方楽人散楽、北面下臘等、にしきの地鋪お庭上に敷て舞台に擬す、妓女二人甘洲おまふ、負方妓女舞奏する事いはれなき事なれども、用意のこと勤仕すべきよし、仰下さるゝ間奏しける也、源中納言鞨鞁おうちて、たかく唱歌有けり、此間盃おすゝむ、右方人座お立て退去して、中門廊の辺に徘徊しけり、次に左右歌女唱歌、舞妓なお興遊にたえず、公卿以下庭上にて乱舞有けり、一日の放宴たりといへども、さだめて備万代之美談、昏黒事おはつておの〳〵退出、此事中御門左大臣殿の御たづねによりて、ぶぎやうにん経房朝臣かきてたてまつりける也、