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古今著聞集
十九/草木
永承六年五月五日、内裏に菖蒲の根合有けり、此こと去三月晦日、堪能の上達部ひとりふたり殿上人等おめして、弓の勝負ありけり、又鶏合も有けり、其勝負なきによりて、菖蒲の根おあはせて勝負お決せられける也、御装束、永承四年十月歌合の儀のごとし、中宮皇后宮みなさぶらはせ給ふ、内大臣頼宗、民部卿長家、按察大納言信家、小野宮中納言兼頼、さへもんのかみ隆国、侍従中納言信長、二条中納言俊家、中宮大夫経輔、左宰相中将能長、三位中将俊房、三位少将忠家など参り給ひけり、左右の方人夕べにおよんでまいりけり、まづ御殿にあぶらお供ず、其後左右の文台おたつ、高さ四尺なりけり、南のひさしの座の東の間に、東面の妻にかきたつ、洲浜おつくりてしろがねの松おうへたり、又おなじき鶴亀おすへたり、沈香おもて岩石お作りたてたり、其あいだに銀のやり水おながして、其前に机お立て、そのうへに書一巻おおく、像眼おもて紙して、色紙形お摸して、おの〳〵和歌五首おかく、しろがねおのべて表紙として、彩色あおくみどり也、虎魄お軸として、しろがねおひもとす、すはまにうちしきあり、あおき色のうすものおもて浪の文になずらふ、長根五筋おわがねて松の上におき、洲のほとりにおけり、かずさしの洲のうへにもおけり、又薬玉五流わがねて洲のうへにおく、方の人々東のえんの上に候、つぎにかずさしのすはまおたつ、蔵人是おかきて、文台のひがしにおく、石たてゝ小松おうへたり、菖蒲おつくりてかずさしの物とす、次に又蔵人右方の文台おかきたつ、方二尺ばかりなる其うへに大鼓だいお立て、其上に大鼓おたつ、そのまへに蝶舞の童六人おつくりたてゝ、其根の上におの〳〵和歌おかく、みな銀おもてつくれり、又薬玉ながき根おわがねてすはまの辺におく、薬玉みな金銀にてつくれり、方の人西のすのこに候ず、次に籌刺のすはまおたつ、蔵人一人これおかきて文台の西のかたにおく、すはまに竹台のていおつくりて、竹おうへてかずさしの物とす、其後仰によりて公卿おわかちて左右とす、左のかたの公卿相引て、御前の簀子おへて東にわたりて座につく、内大臣師方卿、兼頼卿、信長卿、経輔卿、俊房卿也、左頭頭弁経家朝臣、右頭頭中将資綱朝臣すゝみて文台の下に候す、此間に左右のかざしの童おの〳〵一人其所に候、くだんの童二人隆国卿の子息也、みな殿上に候しけり、頭弁経家朝臣、良基朝臣お召、頭中将資綱朝臣、基家朝臣お召、左右あひわかつて御まへに候す、経家朝臣ながき根お取て、良基朝臣にさづけて、南のひさしにのべおかしむ、右又かくのごとし、其長みじかおあらそふ、左の根一丈一尺、右の根一丈二尺にて右勝にけり、但右かたすこしまさりたりけるによりて勝に定められけり、三番お限りとしてとゞめられぬ、次に和歌五首およむ、左の講師長方朝臣、読師経家朝臣、右の講師隆俊朝臣、読師資綱朝臣也、判者内大臣題菖蒲、郭公、早苗、恋、祝也、おの〳〵よみ終りてしりぞきて、本の座にかへりつく、次に管絃の御調度おめす、和琴民部卿、筝二位中納言、琵琶経信朝臣、笙定家朝臣、笛篳篥隆俊、唱歌資仲朝臣、子調子ののち内大臣御気色によりて、笏おさして御笛お取て、御座の下にすゝみてこれお奉る、主上〈○後冷泉〉御ふえおとらせおはしまして後、拍子奉仕せらるべきよし内大臣に仰らる、大臣仰お承て座に帰りつきて安名尊おとなふ、律曲の終りに諸卿に御衣おたまはす、おの〳〵退出、今度殿上人の禄はなかりけるとかや、