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古今著聞集
十九/草木
延喜十三年十月十三日御記雲、仰侍臣令新菊花各十本分三番、相争勝劣賭、以申時各方領花参入、〈一番入自仙花、二番入自滝口、〉次第進花立庭中、〈一番種花以右洲形、二番栽火桶、各蔵人所二人取立御前、〉左衛門督藤原朝臣候御前、伝作勝負総十番、勝方簾中拝舞、選進菊中各四本、栽西方小庭、十二月九日二番侍臣献負柚、〈菊時負物也、此柚於射庭可献、而貢献違失也、〉入夜出待賢門、左衛門督権中納言侍之飲酒、
天暦七年十月十八日、殿上の侍臣左右おわかちて、おの〳〵残菊お奉りけり、主上〈○村上〉清凉殿東の孫庇南の第三間に出御、王卿東の簀子に候、仰に雲、延喜十三年侍臣献菊、かの日隻左衛門藤原定公一人候、仍不相分左右、至于今日数人既候可相分とて、右大臣、大納言源朝臣、参議師氏朝臣三人お左方とす、大納言藤原朝臣、左衛門督藤原朝臣二人お右方とす、左菊いまだ仰かうむらざるさきに弓場殿にかきたつ、其後召によりて御前の東庭にまいる、洲浜に菊一本おうへたる、蔵人所衆六人してこれおかく、仁寿殿の西の砌にしの辺に、兵衛府の円座一枚おしきて、殿上の小舎人壱人矢三おもちて候、洲浜の風流さま〴〵なり、中に銀の鶴に菊の枝おくはへさせて、其葉に歌一首おかく、其後右菊やゝひさしうしてまいらせざりければ、たび〳〵もよほしおほせらるるほどに、秉燭に及て奉りければ、それも所衆ぞかきたりける、かずさしの円座はなし、風流左におとりたりけり、しろがねの鶴にきくおくはへさせて、歌お書たる事左におなじ、右大臣奏し申されけるは、右花其粧劣也、加之数度雖召良久不献、然則第一花可為左勝、仰雲、事理也、仍左かずおます、其時大臣座お立て負方の公卿に罰酒おこなはれけり、勝負あるごとにかくなんおこなはるべきに、左第二花おたてまつる、其花あざやかなれど、かたぶきふしたりければ、仰によりて負に成にけり、仍左数おぬく、第三の花左かちてすなはち乱声おはつして竜王お奏す、左衛門権佐公輔息に小舎人橘知信がつかうまつりける、次左方公卿侍臣前庭にして拝舞ありけり、其後左方有相朝臣、右方延光朝臣に仰てつるのふくむ和歌おめさる、おの〳〵とりてまいりて、御座の南辺にこうす、則両人おもてよませられけり、
〈左歌〉 ちとせふるしものつるおばおきながらきくのはなこそ久しかりけれ
〈右歌〉 たづのすむ汀のきくはしらなみのおれどつきせぬかげそ見へける
其後舞お奏す、左方渋川鳥、左近将曹船木茂真、舞師長尾秋吉ぞつかうまつりける、右方綾切、右衛門府生秦良佐、近衛身高つかうまつる、後々舞くだんの四人更に奉仕しけり、左右たゞ勝負まひのまうけばかりにて、他舞のまうけなかりけるお、俄の仰によりて余曲おば供しけり、左万歳楽、太平楽、右石川楽、長保楽等也、舞終て更に双調お奏す、管絃にたえたる侍臣等、河竹の北辺にこうす、又楽所の輩も同所のひがしの辺に候て、或は謡、或は吹弾、此間に御膳お供ず、又侍臣に仰て御筝お奉る、これよりさきに御座の南辺に置物御厨子一脚おたてゝ、くだんの御筝おおきまうけたり、式部卿の親王和琴お弾じ、源大納言琵琶お弾じけり、御遊おはりて王卿以下に禄お給ふ、又御みきまいりて式部卿親王にたまはせける、親王すなはち御前の階間より庭におりて、拝舞し給ひけり、南の長階よりのほりて座につく、さらに盃おとりて次第にくだりけり、納言御挿頭のまうけ有、献ずべきよし申されけり、