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香の事は、支那の書には古くより見えたれども、皇国にては推古天皇の朝、沈水の淡路島に漂著せしお以て始とす、其後海外交通の路漸く開け、僧徒賈客の携へ帰、り齎し来るありて、其種類甚だ多し、初は仏事にのみ用いしが如くなれど、延喜天暦の頃より、宮中にて薫物合(たきものあはせ)と雲ふこと行はる、薫物とは香の事にて、是れ香お聞き戯とする始なり、
薫物合は、歌合絵合の如きものにて、一に香合と雲ふ、左右曹お分ち、合剤の浅深厚薄に由りて、判者其優劣お決し、勝敗お定むるなり、其合剤の香お称して合香と雲ふ、合香は支那より起りて、嵯峨淳和の朝の頃には、既に藤原冬嗣、賀陽親王等の方あり、梅花荷葉等の名ありしなり、此香合は、歳月お経るに随ひ漸く盛になりしが、其後名香合、組香と雲ふこと出で来り、坐作進退より筵席器具まで悉く法式お設け、師承お経ざれば知ること能はざるに至る、
名香合は、単に沈水のみお以て優劣お争ふことにて、香気尾烟は勿論にて、香主の命じたる香の名の雅俗も勝敗に関係するなり、蓋し名香合は足利の初に起る所にして、世に伝へて佐々木道誉に始まるとす、
組香は数種の香お聞きて、其同異お鑒識するものにて、足利氏の末に起り、其最も古きものお十炷香とす、且く十炷香に就きて組香の状お言はんに、初に香本〈香お出す人にて、初には火本と雲ひしなり、〉より三種の香お出し、之お聞かしむ、是お試と雲ふ、即ち第一に聞きしお一の香とし、第二に聞きしお二の香とし、第三に聞きしお三の香とす、更に三種の香名三封別種の香一封、合せて四種十封の香お次序お乱して出すなり、其三種三封は初に試みし一二三の香にして、別種一封は未だ試みざるものなり、之お客と雲ふ、さて香お焚きて之お聞くに、初に聞きたるものお以て、前に試みし所の一の香と思へば、一の札お筒に入れ、二の香、三の香と思へば、二の札、三の札お入れ、未だ試みざる香と思へば客の札お入る、此の如くして、鑒識し得たるの多少お以て勝敗お為すなり、又無試十炷香あり、初に其試なくして、直に三種の香各〻一封、別種の香一封お出して之お聞かしむ、即ち第一に聞くものお一と為して一の札お入れ、第二に聞くもの一と同香と思へば一とし、同じからずと思へば二とし第三に聞くもの亦一と同香と思へば一とし、二と同香と思へば二とし、一二と異なりと思へば三とし、第四に聞くもの一二三と同香と思へば一二三とし、異香と思へば客とす、而して一二三と為したる香の中、再び出でざるときは是お初客、二客、三客とす、即ち香本の客なり、十炷香の札は、十枚なれど無試十炷香は十二枚にして、同種の札のに枚余れるは是が為にして、其余れるものお以て客とするなり、此余組香には競馬香、源氏香など数十種あれど、多くは晩出せるものにて、世に謂ゆる香の図は、源氏香より出でたるなり、要するに薫物合、名香合、組香は皆香合にして、薫物合は合剤の巧拙お争ひ、名香合は香質の佳惡お競ひ、組香は鼻識お以て輸贏お決するものなり、
聞香には流派あり、三条西実隆文亀の頃に在りて、殊に此芸に通じ、父子三世相伝へ、其教お奉ずる者多くして、其流お御家流と称し、後来志野流、建部流、米川流の類、其源は皆三条西に出でたりと雲ふ、此芸は香道とも称し、茶湯と並び行はれて香茶と雲へりしが、今は茶湯お好むものは多けれど、香道は大に衰へたり、聞香に用いる具には、香合、火取、香箸等あり、而して容飾に用いる香囊匂袋の如きは、器用部容飾具篇に収め、又仏事の行香の如きは、宗教部法会篇に収めたり、