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後伏見院宸翰薫物方
薫物焼様事
薫物たく事は、なべていかなる者も故実おならひつたへねども、する事なれば、安き事にこそとは覚えたれども、よく〳〵心得てすべき事なり、あしくたきつれば、香もあしくなりて、とまらざるのみにあらず、不吉のかたもある也、相生の様はぬるくしてこがるべからず、火はやくて急にこがるゝお、さうこくのかともいふべし、不吉にも通へり、能心にいれておもひとけば、天然の道理何事にも心得らるゝ事也、先かたきのすみお能々つくりて、よぐおこしとおして、ひとりのはいおもまづあたゝめて、このつくりすみの火おうづむべし、うへにもあつき炭お持て、よきほどにおほひて、うづみおほせてのち、うへおきとさぐるに、いたくあつからぬ程に、ぬる〳〵とうづみて、其上に又火お置て、しばしあたゝめて、たかんとする時、上の火おとり拾て、薫物お置べし、火のぬるくて久敷くゆるがよきなり、扠すこしふすぼりくさくなるまで、やはらかに久しくたきとおして、しばし時刻お経てきるべし、薫物のたいなるおとりはなつ事、風のふくとおりあり、かくさきもの、かやうのふさはぬときにとりきるべからずといへり、隻今又いそぎてきるべき事のあらんには、火おいたくぬるからでたく、しばしたくべし、ふすぼる程迄はたくべからず、しばしほどへてきるにこそ、ふすぼりは失て残るかはひさしき也、大方焼ての後、すなはちきりつれば、かとまらず、たとへばこよひ能くたきて、やはらかへしおとりおきて、明る日などたきたるは、四五日もかうせず、薫物は能くたきおほせたるお、一日などいたくみぐるしからずきて、其次ぎの日などか、ことに匂ひもうつくしく思はしくかぎたくおぼゆる程にてはあるなり、たくほどは、はれにかうじばかりなどつくりてとこそいへども、かならずおほきなるによりて、かうばしからず、すぐろくの石計につくりて、度々に焼重ねたるは、久敷もとゞまり、かうばしさもまさるなり、つくるに又うす〳〵平々と作る事、かへす〴〵わうし、口五分ならばあつさは二分につよく、一寸なるは五分に半減半増に作るべしといへり、是よりも薄きはくゆるほどはなくて、やがてぶすぼりたちぬれば、けぶりのかよりほかにほひはさらになき、かやうの口伝吉事のはれに、ことに物のしれらんやうの人心得てすべき事なり、