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太平記
三十九
諸大名讒道朝事附道誉大原野花会事
佐々木佐渡判官入道道誉、五条の橋お可渡奉行お承て、京中の棟別お作取、事大営なれば、少し延引しけるお励んとて、道朝他のかおも不仮、民の煩おも不成、厳密に五条の橋お数日の間にぞ渡しける、是又道誉面目お失ふ事なれば、是程の返礼おば致さんずる也とて、便宜お目に懸てぞ相待ける、懸る処に柳営庭前の花、紅紫の色お交て、其興無類ければ、道朝種々の酒肴お用意して、貞治五年三月四日お点じ、将軍の御所にて花下(のもと)の遊宴あるべしと被催、殊更道誉にぞ相触ける、道誉兼ては可参由領状したりけるが、態と引違へて、京中の道々の物の上手ども、独も不残皆引具して、大原野の花の本に宴お設け席お厳て、世に無類遊おぞしたりける、〈○中略〉紫藤の屈曲せる枝毎に、高く平江帯お掛て、魑頭の香炉に、鶏舌の沈水お薫じたれば、春風香暖にして不覚栴檀林に入かと怪まる、〈○中略〉本堂の庭に十囲の花木四本あり、此下に一丈余りの鍮石の花瓶お鋳懸て、一双の華に作り成し、其交に両囲の香炉お両机に並べて、一斤の名香お一度に炷上たれば、香風四方に散じて、人皆浮香世界の中に在が如し、